深見村(読み)ふかみむら

日本歴史地名大系 「深見村」の解説

深見村
ふかみむら

[現在地名]袋井市深見

豊田とよだ郡に所属。南は太田おおた村。太田川の中流域平地に立地する。西側を小藪こやぶ川が南流している。村名は深水ふかみずに由来するという(掛川誌稿)。「蔭涼軒日録」長享二年(一四八八)八月二九日条によれば、足利義尚はもと伊勢鶴寿丸の所領であった「遠江国深見郷」など四ヵ所を、京都常在光寺(現不詳)に寄進している。しかし延徳二年(一四九〇)閏八月一二日伊勢上野介貞弘(鶴寿丸、あるいは一族か)が深見郷など四ヵ所について、自身の所持する支証に任せ還付してくれるよう新将軍足利義材に申請している(伺事記録)。永禄一一年(一五六八)一二月二一日、徳川家康は「富賀見」などで二千五〇〇貫文の地を久野宗能と一門に与えている(「徳川家康判物」久野文書)。天正一七年(一五八九)七月七日徳川氏は「深見郷百姓等」に宛て定書を下している(「徳川家七ヵ条定書写」御庫本古文書纂)

深見村
ふかみむら

[現在地名]大和市深見・深見台ふかみだい一―四丁目・大和南やまとみなみ一―二丁目・大和東やまとひがし一―三丁目・深見東ふかみひがし一―三丁目・深見西ふかみにし一―四丁目

さかい川右岸に位置し、北は下鶴間しもつるま村、南は上和田かみわだ村、西は上草柳かみそうやぎ村・下草柳村に接する。西の台地上を八王子道(滝山道)が南北に通る。

和名抄高座たかくら郡の郷名に「深見」とみえ、「延喜式」神名帳にみえる深見神社は江戸期には鹿島かしま社と称された。正平七年(一三五二)正月二日の将軍足利尊氏充行下文(県史三)によれば、尊氏の被官南宗継は「相模国和田・深見両郷」などを勲功の賞として充行われた。小田原衆所領役帳には西原小三郎「拾貫文 東郡深見」とみえる。天正一九年(一五九一)五月の坂本貞次への知行宛行状(県史八)には「深見郷之内三百四拾石」とみえ、深見郷の地域は広範囲に及んでいた。

深見村
ふかみむら

[現在地名]藤岡町深見

現町域南部、飯野いいの川流域に位置する。猿投さなげ山の南東にあって、山麓の猿投神社(現豊田市)に至る道が通ずる。南は挙母ころも(現豊田市)に、北は飯野、小原おばら(現小原村)を通り明智あけち(現岐阜県恵那郡)に抜ける中央道が通る。縄文時代の大屋おおやA・B遺跡、石神いしがみ遺跡、後田うしろだ遺跡、弥生時代の四反田したんだ遺跡、古墳時代の御内平みうちだいら古墳がある。字広長には宝篋印塔が一基あり、猿投山麓に鉱滓が一ヵ所発見された。また飯野川と中山なかやま川に囲まれた一帯には、西中山にしなかやま・深見古窯跡群がある。

深見村
ふかみむら

[現在地名]阿南町東条ひがしじよう 深見

天竜川右岸に位置する。北は中谷御供なかやおども村、東は天竜川を挟んで対岸の我科がしな村(現泰阜やすおか村)、南は小野おの村・平久大窪ひらくおおくぼ村、西は大平大那木おおびらおおなぎ村・千木ちぎ村・早稲田わせだ村に接する。

天文一〇年(一五四一)関氏の所領となり、同一三年下条領、天正一五年(一五八七)飯田城代菅沼氏預り所、同一九年京極氏知行所、慶長六年(一六〇一)小笠原氏預り所、元和三年(一六一七)脇坂領、天和元年(一六八一)美濃高須藩松平氏の飛領地となる(長野県町村誌)。村高は、正保四年(一六四七)に二一六石余(信濃国絵図高辻)

深見村
ふかみむら

[現在地名]門前町深見

鹿磯かいそ村の北、深見川の形成する狭い谷間と河口小平地に立地。外浦に面した漁村。中世には志津良しつら庄の内。大永元年(一五二一)から天文五年(一五三六)頃と推測される渓和尚志津良庄年貢帳(棘林志)に「深見、田数千百三拾束」とある。養福寺記録(養福寺蔵)によると当村は古くは高六五石、家数七五であったが、中世末、年々不漁のため村を捨て越後の間瀬角田まぜかくだ(現新潟県巻町)へ移り、村が中絶。慶長二年(一五九七)加賀藩はもと越前の武士で角海浜かくみはま(現巻町)に住んでいた吉田次郎左衛門に当村跡支配を命じ、かつての離村民を召喚させ、諸役を免除して村を再興させたという(諸岡村史)

深見村
ふかみむら

[現在地名]田鶴浜町深見

赤蔵あかくら山系西端にある。内浦街道を挟んで北東は白浜しらはま村。往古は深い入海で「ふかうみ」が転じて「ふかみ」となったという(田鶴浜町史)しんかい・かなはま・たのうら・おきだなど、入海であったことを物語る小字名が残り、西隣大津おおつ村とともに米・竹などを津出しした湊であったと伝える。天正八年(一五八〇)から長連竜領で、文禄二年(一五九三)の鹿島半郡高帳に村名がみえ、高一二四石余。正保郷帳によると、深見村・白浜村の高三三一石余、田方一八町六反余・畑方三町四反余。寛文一一年(一六七一)の鹿島半郡高免付帳(長文書)では高二〇一石、免五ツ六歩九厘。

深見村
ふかみむら

[現在地名]福井市深見町

一乗谷との境をなす丘陵北麓に位置し、岩倉いわくら村の東方にあり、北は東郷とうごう町。複雑な山麓線に沿って西から深見・国本くにもと桂山かつらやま五本谷ごほんだにの四垣内に分れる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では田治たじ庄に含まれる。正保郷帳では「深見村谷桂山共ニ」と記され、田方五七三石余・畠方五三石余。貞享二年(一六八五)の「越前地理指南」以降深見村と記される。

深見村
ふかみむら

[現在地名]美山町大字深見

平屋ひらや一〇ヵ村の一。由良川の支流深見川流域の山間集落。川の下流(北西)長尾ながお村、丹波路(現周山街道)を南東に進み深見峠を越えると上弓削かみゆげ(現京北町)に出る。古代は「和名抄」に記す弓削郷に属し、中世は野々村ののむら庄の地。

慶長七年(一六〇二)幕府領、元和五年(一六一九)より園部藩領となる。

深見村
ふかみむら

[現在地名]下館市深見

小貝こかい川左岸にあり、北は茂田もだ村。元禄郷帳に村高四九二石余、永一貫文とあり、永一貫文分は伊勢神宮領であった(各村旧高簿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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