北桑田郡(読み)きたくわだぐん

日本歴史地名大系 「北桑田郡」の解説

北桑田郡
きたくわだぐん

面積:五五七・六四平方キロ
京北けいほく町・美山みやま

府の中央、丹波地区の東部に位置し、北は福井県遠敷おにゆう郡・滋賀県高島たかしま郡、東は京都市左京区、南は京都市北区、西は船井郡・綾部市に接する。地形的には丹波高原に属し、北部には日本海に注ぐ由良川、南部には大堰おおい川が、山間を縫っていずれも西流する。郡域の約九割は山地で森林資源に恵まれる。

地名桑田は「日本書紀」垂仁天皇八七年条に「丹波桑田村」とみえ、郡名は同書継体天皇即位前紀に「丹波国桑田郡」とある。北桑田郡は明治一二年(一八七九)従来の桑田郡が南北二郡に分けられた時に始まる。

〔原始〕

郡域内の遺跡分布は概して京北町の大堰川流域に濃密で、美山町の由良川流域は希薄である。最古の出土遺物は、大堰川流域の周山しゆうざん瓦窯跡(京北町)で発見された旧石器後期のスクレーパー・剥片・石屑である。

縄文時代の遺跡は発見されていないが、下平屋しもひらや(美山町)から石棒・凹み石、内久保うちくぼ(美山町)から凹み石などが出土し、縄文時代のものかとされる。弥生時代の遺跡は宇津うつ上中かみなか殿橋とのはし(京北町)などで発見され、銅鐸が文久元年(一八六一)下弓削しもゆげ(京北町)より出土したと伝える。古墳は前期の方形古墳として周山古墳群、後期の横穴式古墳には塔村とうむら古墳群・鳥居とりい古墳群・鳥谷とりたに古墳群・狭間谷はざまたに古墳群・折谷おりたに古墳群(京北町)などがあり、京北町域内の古墳は現在一一五基を数える。

一方、由良川流域ではしま遺跡・和泉いずみ遺跡・広瀬ひろせ遺跡・上平屋遺跡(美山町)などから石器が出土したと伝えるが詳細は不明で、島古墳一基も破壊が激しく原形をとどめない。奈良時代以前の寺院跡や瓦窯跡などもまだ発見されず、大堰川流域の文化圏とは異なる。

〔古代〕

「続日本紀」養老六年(七二二)三月一〇日条に「丹波国(中略)弓削部名麻呂」がみえて、当郡弓削郷に住んだと思われる弓削部民の存在がうかがえる。延暦三年(七八四)の長岡京造営、同一三年の平安京造都には山国やまぐに郷・弓削郷(京北町)などの材木が利用され、以後も当地の材木は重要視された。これらの材木運搬は大堰川の筏流しが利用されたと考えられ、後世まで隆盛をきわめることになる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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