下館市(読み)シモダテシ

デジタル大辞泉 「下館市」の意味・読み・例文・類語

しもだて‐し【下館市】

下館

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「下館市」の解説

下館市
しもだてし

面積:八六・〇八平方キロ

県の西部に位置する。市の東西を小貝こかい川と鬼怒きぬ川が南流し、東は真壁まかべ郡協和町、南は同郡明野あけの町・関城せきじよう町、西は結城市、北は栃木県と接する。市域のほぼ中央を南へ舌状台地が延び、その南寄りに市街地が成立。台地の東を勤行ごんぎよう川、西を大谷おおや川が南流し、市南部で小貝川に流入する。市街地の中央を東西に国道五〇号が貫き、国道とほぼ並行して国鉄水戸線が通る。また市域を南北に国道二九四号が縦断し、国道に沿って下館を基点とする国鉄真岡線・関東鉄道常総線が通る。

下館の名は弘治二年(一五五六)一一月二五日の結城氏新法度(松平基則氏所蔵文書)に「山川・下たて・下妻、惣別此方成敗」とあり、永禄一〇年(一五六七)鋳造の定林じようりん寺の楼鐘銘にも「常州伊佐郡奥崎郷下館村玉叟山定林寺之楼鐘也」とある。また下館の地名の由来は、藤原秀郷が平将門を討つために築いた下館によるともいわれるが異説もある。

〔原始〕

遺跡は鬼怒・小貝両河川沿岸地域に多く分布する。鬼怒川左岸では十二天じゆうにてん女方おざかた女方本田前おざかたほんでんまえ前原まえばら下川島弁天しもかわしまべんてんの各遺跡、小貝川右岸には大関おおぜき深見新田宮脇ふかみしんでんみやわき北大久保きたおおくぼ、大谷川沿岸には元村もとむら清水不動しみずふどう不動坂ふどうざかの諸遺跡があり、勤行川右岸の台地には八丁台はつちようだい鷹巣たかのす両遺跡がある。縄文前期に属するものは少なく、縄文中・後期から弥生時代の遺跡が多い。古墳も鬼怒・小貝両河川沿岸に集中、小貝川沿岸では南台いんなみだい北台きただい・宮脇・徳持とくもちしまの各古墳と北茂田きたもだ古墳群があり、鬼怒川左岸では女方・下川島弁天両古墳群があるが、古墳の大半は原形を損壊している。古墳の多くは円墳で、一四の円墳からなる女方古墳群は埴輪や刀を出土した。前方後円墳の徳持古墳は葦間山あしまやま古墳ともよばれ、被葬者は古代に新治にいはり地方を支配した比奈良珠命といわれる。

〔古代・中世〕

当市域に属する「和名抄」記載の郷は新治郡竹島たかしま沼田ぬた伊讃いさ博多はかたの各郷とされる。新治郡は平安末期までに東郡・中郡・西郡・小栗おぐり御厨に四分されたが、現下館市域はそのうちの西郡・小栗御厨に該当する。西郡はさらに南条なんじよう北条ほうじように分れ、南条はせき郡、北条は伊佐いさ郡と称し、弘安大田文に

<資料は省略されています>

と記される。

小栗御厨(真壁郡協和町の→小栗御厨の範囲は市域の北部・東部と現協和町、伊佐郡は市域西部、関郡(真壁郡関城町の→関庄は市域南部と現関城町・下妻市に相当する。伊佐郡は「吾妻鏡」に散見する伊佐為宗・為家で知られる伊佐氏の支配下に置かれていた。為宗・為家はともに伊達朝宗(常陸入道念西)の子息で、朝宗は子息らの軍功によって源頼朝の信頼をえている(「吾妻鏡」文治五年八月八日条、建久二年一月二三日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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