旺文社日本史事典 三訂版 「沖縄」の解説
沖縄
おきなわ
沖縄史の初めは言語・文化を同じくする日本人の一部がこの列島に住みついたことに始まると思われる。伝説としては,源為朝が八丈島から沖縄島に渡り,土豪の妹を妻として一子を得,これが第1代の王となったとされるが,もとより史実とはいえない。11世紀ごろから按司 (あんじ) と呼ばれる族長が支配する部族国家が分立し,やがてそれらの上に世主 (よのぬし) が出現し,各地に割拠した。14世紀には,北山・中山・南山の3勢力にまとまり,明にそれぞれ朝貢し,特に中山朝は,アンナン・ジャワ・シャムなどを対象とする東南アジア貿易を発展させ,またその商船は博多や坊津に来航して南洋方面との貿易を中継するなどの動きをみせていた。15世紀の初め,尚氏が台頭,同世紀の末には本島を政治的に統一し,16世紀の初めまで琉球史上の全盛期を現出した。この尚王朝が明治維新まで続く。1609(慶長14)年の島津氏の侵攻は琉球王国に大きな打撃を与えた。その後は,島津氏と,中国の明・清への両属を余儀なくされた。しかも島津氏の琉球人に対する本土の風俗・言語の使用を禁じる政策は,本土人と琉球人の民族的一体化を妨げた。明治維新後,新政府は1874年台湾出兵を行い,琉球の日本帰属を諸国に黙認させ(琉球帰属問題),'79年沖縄県とした。沖縄県となってからは知事や県庁の首脳部をはじめ指導者層はすべて本土から派遣され,急速に日本化が推進されたが,本土と同じ自治制度となったのは1920年であり,本土と異なる差別的な特殊事情が存続した。また経済的にも本土の資本や商人の進出で不安定であった。太平洋戦争末期,沖縄は激しい攻防の戦場となり,住民は大きな被害をうけた。'45年アメリカ軍に占領され,以後その軍政下に置かれた。'51年サンフランシスコ平和条約締結以後も,第3条の規定によってアメリカの権力下に置かれたので,住民の自治権は限られ,生活は基地に左右された。悲願の日本復帰運動は '72年に実を結び,沖縄は新しい道を進むことになり,'75年には海洋博覧会が開催された。
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