木郷(読み)ふなきごう

日本歴史地名大系 「木郷」の解説

木郷
ふなきごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに「舩木」と記し後者が「布奈木」と訓を付す。「芸藩通志」は「船木は詳ならず、庄山田村の内に船木とよぶ地あり、又船越村あり、是等の内なりや」とする。「日本地理志料」は庄山田しようやまだ村の船木ふなき(現呉市)に比定し、和庄わしよう宮原みやはら警固屋けごや吉浦よしうら大屋おおやなどの諸村(現呉市)に及ぶとする。「大日本地名辞書」は「今呉和庄町及び庄山田、阿賀等の村落灰峰の麓なるべし、庄山田村に船木と云ふ地ありと通誌にみえたり、船木とは上古造船の材を採りし地にして、今此地に艦船の大廠を置かるゝも偶然と謂ふべからず」とする。

木郷
かつらぎごう

三養基みやき郡三根町大字天建寺てんけんじ鎮座葛城かつらぎ神社を中心とする地域に比定できる。物部もののべ郷の南、筑後川沿岸の低平地であって、「佐賀県史」は条里で一二里くらいの地域を推定している。

郷名は「肥前風土記」になく、「和名抄」にみえて、訓は刊本に「加都良木」、伊勢本に「加津良木」とする。

「日本書紀」仁徳紀七年に「亦為皇后、定葛城」とあり、「三代実録」貞観一五年(八七三)九月一六日条に神位加階のことがみえる葛木一言主命を大和から勧請したのが葛城神社である。

木郷
かつらぎごう

「和名抄」諸本に訓はない。郷域については現御津みつ郡御津町の旭川東岸南部地域、川高かわたかくにはら大鹿おおじか芳谷よしたに鍋谷なべたにの地域に比定されている(「大日本地名辞書」「岡山県通史」など)。郷名の由来については三説がある。一説は「古事記」仁徳天皇段、「日本書紀」仁徳天皇七年八月九日条に、天皇が葛城氏の出身である磐之媛(皇后)のために葛城部を置いたとあるもので、この葛城部(名代)がこの地にあったとみる。

木郷
ふなきごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに「舩木」とし、後者が「布奈木」の訓を付す。「芸藩通志」は「村名あり」とし、「日本地理志料」は「上古採船材処」とし、嘉保二年(一〇九五)八月一五日付高田郡司藤原頼成解(新出厳島文書)に「船木郷」とみえる地にあてる。

木郷
ついきごう

「和名抄」諸本とも「樢木」と書き、訓を欠く。「太宰管内志」も「樢木郷」と記し、「ママは隹に同じければ樢は椎にと樢木は志比乃支と訓ムべし」とするが、「大日本地名辞書」の表記「木」に従い、「ついき」と読む。

木郷
ふなきごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに「舩木」と記し、後者が「布奈木」の訓を付す。「芸藩通志」は「現に村名遺れり」と、船木ふなき(現豊田郡本郷町)を遺名とする。「日本地理志料」は「古者採船材於此、因名」とし、「日本書紀」推古天皇二六年に河辺臣が霹靂の木を切って船材としたとの記事より、船木村の船材敏ふなきと神社(現霹靂神社)を所伝の神社とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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