応其(読み)おうご

日本大百科全書(ニッポニカ) 「応其」の意味・わかりやすい解説

応其
おうご
(1536―1608)

戦国~安土(あづち)桃山時代の真言宗の僧。諱(いみな)は日斎。字(あざな)は順良。通称、木食上人(もくじきしょうにん)、興山(こうざん)上人、木食応其という。近江(おうみ)(滋賀県)の佐々木氏、大和(やまと)(奈良県)の越智(おち)氏に武士として仕えたが、主家の滅亡後、1573年(天正1)に高野山(こうやさん)に登って出家し、穀物を断って木実果実のみを食し、木食苦行を積んだ。1585年(天正13)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の高野山攻撃にあたり、粉河(こかわ)の陣中に参じて秀吉を説得、これを阻止した。以後、秀吉の信任を得、その援助によって高野山を復興した。高野山では客僧の身分であったが、新たに興山寺青巌寺(せいがんじ)を建立し、1594年(文禄3)には秀吉が登山した。山上堂宇金剛峯寺(こんごうぶじ)金堂など25棟、そのほか近畿をはじめ諸国の堂宇80余りを再興、修理した。

宮坂宥勝 2017年5月19日]

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朝日日本歴史人物事典 「応其」の解説

応其

没年:慶長13.10.1(1608.11.8)
生年天文5(1536)
安土桃山時代の木食僧。木食応其とも称した。近江(滋賀県)の武士の家に生まれるが,仕えた主君が没落した。天正1(1573)年,高野山で出家し客僧となり,五穀を断つ木食行に専念した。この後,仁和寺に入り,阿闍梨位を受ける。同13年に,根来寺を滅ぼしたのちの豊臣秀吉の高野山攻めに対して,客僧の身分ながらも,高野山を代表する使節として粉河の秀吉の陣に行き,和議を整えて,高野山存亡の危機を救った。秀吉の信任を得て,方広寺大仏殿の造営を命じられ,また高野山に興山寺や秀吉の母大政所をまつる剃髪寺(のち青巌寺)を開創し,両寺の住持となり,興山上人の号を贈られた。また,高野山の金堂の修復や大塔の再造も行い,高野山の再興に尽くした。ほかに京都や諸国でも,数多くの寺や塔を造営し,その数は97におよんだという。秀吉の信任によって,島津氏の降伏など,戦の講和にも当たった。関ケ原の戦では,伊勢(三重県)の津城主富田信高,大津城の京極高次を説いて西軍につかせた。戦いの終結・和平を望んだのだが,徳川家康から西軍に味方したと疑われ,弟子の勢誉に興山寺,青巌寺を譲り,高野山を退き,近江甲賀郡の飯道寺に隠棲した。連歌を里村紹巴に習い,連歌をよくするとともに,連歌の式目・作法を記した『無言抄』を著し,天正14年に紹巴の校閲を受け,慶長8(1603)年に開板された。<参考文献>和田昭夫「木食応其考」(『密教文化』55号,61号)

(川村邦光)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「応其」の解説

応其 おうご

1536-1608 織豊-江戸時代前期の僧。
天文(てんぶん)5年生まれ。真言宗。もと武士で38歳で遁世(とんせい),高野山で木食(もくじき)修行をつむ。天正(てんしょう)13年豊臣秀吉の高野山攻めに,一山を代表して和議をととのえ秀吉の信任をえる。京都方広寺,高野山の興山寺,金堂など多数の寺社を造営。連歌にもすぐれた。木食応其,興山上人と称される。慶長13年10月1日死去。73歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。字(あざな)は順良。著作に「無言抄」。
【格言など】あだし世を廻りはてよと行く月のけふの入日の空にまかせん(辞世)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「応其」の意味・わかりやすい解説

応其
おうご

木喰応其」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の応其の言及

【辞書】より

…長慶院の《仙源(せんげん)抄》はイロハ引き国語辞書として最古のものであり,そのほかに竺源恵梵の《類字源語抄》(1431(永享3)成立)などもある。また連歌のための辞書として,応其の《無言抄》(1580(天正8)成立),著者未詳の《匠材集》(1597(慶長2)成立)などが現れた。 このほか,室町時代以降,ヨーロッパから来日したキリスト教宣教師たちによって出版されたものがある。…

【木食上人】より

…肉類,五穀を食べず,木の実や草などを食料として修行することを木食といい,その修行を続ける高僧を木食上人といった。高野山の復興に尽くした安土桃山時代の応其(おうご)(木食応其)は,広く木食上人の名で知られるが,江戸時代前期には摂津の勝尾寺で苦行を続け霊験あらたかな僧として知られた以空(いくう),中期には京都五条坂の安祥院中興の祖となった養阿,江戸湯島の木食寺の開基として知られる義高,後期には特異な様式の仏像を彫刻して庶民教化に尽くした五行(木喰五行明満)があらわれるなど,木食上人として崇敬された高僧は少なくない。木食は苦修練行の一つで,それを行うことによって身を浄め,心を堅固にすることができるとされたが,経典や儀軌の中に木食の典拠は見いだせない。…

※「応其」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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