形而上絵画
けいじじょうかいが
pittura metafisica
20世紀初頭のイタリア絵画の一流派。形而上派ともいう。1917年フェッラーラにおいてデ・キリコとカッラによって提唱され、翌年モランディが加わり、さらにデ・キリコの弟のサビニオとデ・ピシスらが同調するが、早くも21年には解体した。20世紀の初め、立体主義と未来主義による形態の解析や光と運動の導入という体験を経て、イタリア美術は近代主義に向かって一歩踏み出したかにみえたが、形而上絵画は「具体的な形態」の再発見を志向し、一種の反近代的性格をもつといえる。それは第一次世界大戦のもたらした不安を抜きにしては考えられない。しかしその方向は単なる古い秩序への回帰ではなく、形而上とは、自然の現実を超えて、より内面的で神秘的な「第二の現実」という意味に解される。
3人の中心の作家のうち、デ・キリコは、1910年ごろからニーチェ、ショーペンハウアー、ワイニンガーらの、ドイツ哲学やベックリンの絵画から受けた影響によって、異形のマネキンや日常的事物に満ちた室内を主題とし、やがてシュルレアリスムにかかわることになる。これに対してカッラは、未来主義から脱して「物」の詩学へ向かい、モランディは静物における幾何学的な美感を求めたが、いずれもそうした静謐(せいひつ)な謎(なぞ)に満ちた風景のなかに、自らの深い内面を託そうとするところに共通性がみられる。
[小川 煕]
『中原佑介編『25人の画家・現代世界美術全集25 キリコ』(1981・講談社)』▽『Massimo CarràMetafisica (1968, Gabriele Mazzotta, Milano)』
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形而上絵画
けいじじょうかいが
Pittura Metafisica
イタリア近代絵画の一動向。 1917年1月のフェララの陸軍病院での G.キリコ,C.カルラの出会いによって生れ,提唱された。キリコの弟で詩人,画家である A.サビニオ,画家の F.ピシス,G.モランディもこの動向に属する。主体となったのは,すでに 11年頃よりキリコが追究していた空虚な都市風景,マネキン,奇妙なゆがみをみせる遠近法,明確であるが奇妙な幾何学的形態などによる哲学的,暝想的画風である。彼らはこうした手法によって,未来派の動的傾向に対し,神秘的な内面世界の表現を意図した。その意味で形而上絵画は,シュルレアリスムの先駆でもある。ローマの美術雑誌『バロリ・プラスティチ (造形的価値) 』が機関誌的役割を果した。グループもほぼこの雑誌の終刊と軌を一にして四散した。
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けいじじょう‐かいが ケイジジャウクヮイグヮ【形而上絵画】
〘名〙 (pittura metafisica の
訳語) 西洋画の派の一つ。時間と空間の
倒錯や事物の不動性を幻想的に描いた絵画。一九一五年頃、イタリアのキリコを中心に発展し、
シュールレアリスムの先駆となった。形而上派。メタフィジック絵画。
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デジタル大辞泉
「形而上絵画」の意味・読み・例文・類語
けいじじょう‐かいが〔ケイジジヤウクワイグワ〕【形×而上絵画】
1917年、イタリアのキリコらが中心となって興した絵画運動。幻想的な風景や静物を通して、形而上的な世界を表現、シュールレアリスムの絵画に影響を与えた。
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けいじじょうかいが【形而上絵画】
イタリア語のピットゥラ・メタフィジカpittura metafisicaの訳。1917年,イタリアのフェラーラでキリコとカラの出会いによって成立した絵画の一流派。翌年G.モランディも加わる。キリコによって命名されたこの運動は,21年まで続く。キリコは,ドイツでベックリンやクリンガーの影響を受け,またニーチェやショーペンハウアーの思想にも共鳴して北方的な神秘性と魔術的な雰囲気を画面に表現しようとした。
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