キリコ
Chirico, Giorgio de
[生]1888.7.10. ボロス
[没]1978.11.20. ローマ
ギリシア生れのイタリアの画家。アテネの美術学校で学び,のちミュンヘンの美術学校に入学。ニーチェの哲学や A.ベックリン,F.シュトゥック,M.クリンガー,A.クービンなどの世紀末の絵画の影響を強く受け,夢や幻想の世界を喚起する不可思議な力に関心を向ける。 1909年イタリアに戻り,『秋の夕暮の謎』で初めて影のある風景を描く。 11年パリに出てピカソ,M.ジャコブ,G.アポリネールらと知合う。 17年 C.カルラと形而上絵画を提唱。その独自の幻想的絵画はのちのシュルレアリスム絵画に決定的な影響を与えた。しかし 19年頃からアカデミックな画風に転じ,従来の自己の前衛的なスタイルを否定するようになり,シュルレアリストたちからはうとんじられた。サビニーノの劇『ニオベの死』 (1926) などの舞台装置を手がけ,また,散文体で夢想的世界を描いた小説『エブドメロス』 Hebdomeros (29) ,自叙伝風の『わが生涯の思い出』 Memorie della mia vita (45) などを著わした。
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キリコ
(Giorgio di Chirico ジョルジョ=ディ━) イタリアの画家。幻想的で神秘的な画風を創造。形而上派の運動を起こし、
シュールレアリスムに大きな影響を与えた。(
一八八八‐一九七八)
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キリコ
Giorgio di Chirico
1888〜1978
イタリアの画家
両親はイタリア人だが,ギリシアで誕生。立体派(キュービスム)の影響を受けたが,幻想的な絵を描き,シュールレアリスムに大きな影響を与えた。
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キリコ【Giorgio de Chirico】
1888‐1978
イタリアの画家。20世紀はじめ,未来派の実験とともにイタリアで生まれた形而上絵画の代表的画家。ギリシアのボロスで生まれ,17歳よりミュンヘンの美術学校で絵画を学び,その間ニーチェの哲学思想およびベックリンやM.クリンガーの幻想的な絵画に影響されて,その絵画精神に神秘と不安のイメージを深めた。1908年フィレンツェに出てルネサンス絵画への追憶を加え,形而上絵画の基礎をつくる。パリ滞在ののち17年にフェラーラに戻ってC.カラと出会い,彼とともに〈形而上絵画〉を確立して急速にヨーロッパに知られるようになった。
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世界大百科事典内のキリコの言及
【形而上絵画】より
…イタリア語のピットゥラ・メタフィジカpittura metafisicaの訳。1917年,イタリアのフェラーラでキリコとカラの出会いによって成立した絵画の一流派。翌年G.モランディも加わる。…
【廃墟】より
… 20世紀にはコンクリートで固められた都市に廃墟のイメージを重ねあわせる芸術家が現れた。とくにG.deキリコの形而上絵画は廃墟を思わせる都市風景によって現代人の不安を表現する。またフランスのグランバックAntoine Grumbach(1942‐ )のように,現代都市に古代との歴史的連続性を付与するため,廃墟を〈新造〉しようとする建築家も出てきている。…
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