定家(読み)テイカ

デジタル大辞泉 「定家」の意味・読み・例文・類語

ていか【定家】

藤原定家ふじわらのていか
謡曲三番目物。古くは「定家葛ていかかずら」とも。旅僧が京都千本付近のあずまやに雨宿りすると、式子しきし内親王の霊が現れ、生前契った定家の執心がかずらとなって墓に絡んでいることを語るが、僧の回向によって成仏する。

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精選版 日本国語大辞典 「定家」の意味・読み・例文・類語

ていか【定家】

[二] 謡曲。三番目物。各流。金春禅竹作と伝える。古名「定家葛(ていかかずら)」。旅僧が京都千本付近で時雨(しぐれ)にあい、そばの亭(ちん)に雨やどりする。そこへ里の女が来て、これは藤原定家の建てた時雨の亭だと教え、式子内親王の墓に案内して、定家が内親王と深い契りを結んだが内親王がほどなく死んだので定家の執心が葛となって墓にからみついたといういわれを語り、まことはわれこそ内親王であると告げる。僧の法華経読誦によって内親王の霊が墓の中から現われ、経の功徳で成仏できたと喜ぶ。

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改訂新版 世界大百科事典 「定家」の意味・わかりやすい解説

定家 (ていか)

能の曲名三番目物金春(こんぱる)禅竹作か。シテは式子(しきし)内親王の霊。旅の僧(ワキ)が都の千本(せんぼん)の辺で時雨にあい,雨宿りをしていると,そこへ若い女(前ジテ)が現れて,ここは藤原定家(ふじわらのさだいえ)が建てた時雨の亭(しぐれちん)だと教え,昔を懐かしむかにみえる。女はさらに僧を式子内親王の墓に案内する。もと賀茂の斎院だった内親王は,定家との世を忍ぶ恋が世間に漏れたため,二度と会えないようになったが,定家の思いは晴れず,内親王の死後もつる草となって内親王の墓にまといつき,内親王の魂もまた安まることがなかったと女は物語り(〈語リ・クセ〉),自分こそその式子内親王だが,今の苦しみを助けてほしいといって墓の中に消える。僧が読経をして弔うと,やせ衰えた内親王の霊(後ジテ)が墓の中から現れ,経文の功徳で少しの間苦しみが和らいだという。内親王は報恩のためにと舞を舞うが(〈序ノ舞〉),やがてもとの墓の中に帰り,再び定家葛(ていかかずら)にまといつかれて姿が見えなくなる。

 前場の中心に居グセ,後場の中心に序ノ舞を据えた典型的な構成の本三番目物だが,邪恋が死後の苦しみを招くという深刻な内容で,しかも主人公が高貴な女性であるため,格別重く扱われている。後ジテには瘦女(やせおんな)という特殊な面を用いる流派が多い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「定家」の意味・わかりやすい解説

定家
ていか

能の曲目。三番目・鬘(かずら)物。五流現行曲。古くは「定家葛(ていかかずら)」とも。金春禅竹(こんぱるぜんちく)作。『新古今和歌集』を代表する歌人、式子(しょくし)内親王と、藤原定家との間に秘密の恋があったとする設定である。抑圧された恋の執心を描いて、深刻、かつもっとも優れた能の作品。旅の僧(ワキ・ワキツレ)が都に着き、おりからの時雨(しぐれ)に、一つの庵(いおり)に立ち寄る。女(前シテ)が呼びかけ、そこが定家の時雨亭(しぐれのちん)の旧跡と教え、荒れ果てた情景を描写する。やがて女は式子内親王の墓の前に僧を導き、弔いを頼む。2人の恋が世に知られ、会うことのできなくなった抑圧はあの世まで持ち越され、定家の執心は死後も葛となって墓を覆っている。女は尽きることのない互いの苦しみを救ってほしいと訴え、自分がその亡霊と名のって墓に消える。僧の祈りに、内親王の亡霊(後(のち)シテ)の姿が浮かび、経文の功徳(くどく)で葛の呪縛(じゅばく)から解かれたことを喜び、重い足を引きつつ報恩の舞をまうが、ふたたびその墓は定家葛に覆われて暗い結末で終わる。品位と陰惨さの重層の表現が至難で、重く扱われる能である。前シテも若い姿か、中年の扮装(ふんそう)にするか、後シテもやせ衰えた姿か、内親王の品格を主眼とするか、さまざまの演出の主張がある。

[増田正造]

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「定家」の解説

定家
(通称)
ていか

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
神力定家東遊
初演
宝永7.11(江戸・山村座)

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百科事典マイペディア 「定家」の意味・わかりやすい解説

定家【ていか】

藤原定家(ふじわらのさだいえ)

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