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安東蓮聖(読み)あんどうれんしょう

百科事典マイペディア 「安東蓮聖」の意味・わかりやすい解説

安東蓮聖【あんどうれんしょう】

鎌倉後期,西国で活躍した得宗(とくそう)被官。通称は平右衛門入道。1262年北条時頼使者として西大(さいだい)寺叡尊(えいぞん)のもとに赴いたのが史料上の初見。京で借上(かあげ)を営み,1271年近江堅田(かただ)浦で仁和(にんな)寺年貢運上銭を差し押さえ,訴えられた。1273年摂津多田(ただ)院造営の惣奉行を務めた。1277年には和泉久米田(くめだ)寺(現大阪府岸和田市)を再建,1282年に叡尊を請じて堂供養を催した。摂津守護代(しゅごだい)として,1284年の異国降伏祈祷の御教書を施行している。1302年播磨福泊(ふくどまり)(現兵庫県姫路市)を修築した。1329年京五条で91歳で死去。和泉久米田寺に蓮聖画像が伝わる。

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関連語 仁和

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安東蓮聖」の意味・わかりやすい解説

安東蓮聖
あんどうれんしょう
(1239―1329)

鎌倉後期の北条氏得宗(とくそう)家の被官。死没の年齢は91歳であるが、没年については1330年(元徳2)という説もある。蒙古(もうこ)襲来の前後に六波羅(ろくはら)被官として在京するとともに、高利貸し業を営み、また叡尊(えいそん)らの西大寺流律宗と結んで摂津国多田院(ただのいん)の修造、和泉(いずみ)国久米田(くめだ)寺の再興を行った。とくに叡尊の弟子行円房顕尊と協力しての播磨(はりま)国福泊(ふくどまり)の築港は注目すべきであり、北条氏一門の海上交通路支配、流通経済掌握の先兵としての役割を果たした。

[細川涼一]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安東蓮聖」の解説

安東蓮聖 あんどう-れんしょう

1239-1329 鎌倉時代の武士
延応元年生まれ。得宗領摂津多田院(兵庫県)造営の惣奉行,摂津守護代などをつとめた。禅爾(ぜんに)をまねき,和泉(いずみ)(大阪府)の久米田寺の復興につくす。乾元(けんげん)元年高利貸しでえた私財を投じて,播磨(はりま)(兵庫県)福泊の築港をおこなった。元徳元年死去。91歳。通称は平右衛門尉。号は為条。名は蓮性ともかく。

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