オランダ東インド会社
オランダひがしインドがいしゃ
Vereenigde Oost-Indische Compagnie; Dutch East India Company
1602年,東洋貿易を目的とする諸会社を合同して設立された株式会社。元来オランダ商人はリスボンでバルト海の物産と交換に東洋の物産を入手していたが,スペインの圧力が増大したため,直接東洋諸地域との取引を望むようになり,1594年アムステルダムに遠国会社が設立されるとともに,コルネリス・ド・ハウトマン指揮の第1回商船隊が派遣された。その後同種のいわゆる「先駆諸会社」がオランダ各地に続々と設立されたが,その乱立,競争の弊害を除去するため,議会の要望により,1602年これら諸会社をすべて合併する連合東インド会社,すなわちオランダ東インド会社の結成をみるにいたった。同社は政府から東洋貿易の独占権を与えられたほか,東洋諸国と条約を締結し,城塞を築き,軍隊を養成し,文官を任命するなどの権限を与えられ,いわば政治的・軍事的国家権力の代行機関となった。同社は 19年にジャワ島のバタビア (のちのジャカルタ) に根拠地をおき,ポルトガルの勢力を駆逐し,イギリス勢力を押えて香料貿易や植民地経営に成功し,17世紀なかば頃にはオランダ東洋貿易の黄金時代を迎えた。しかし 18世紀末にいたって,イギリスの圧迫を受け,植民地経営にも破綻を生じ,1798年解散した。
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「オランダ東インド会社」の意味・わかりやすい解説
オランダ東インド会社【オランダひがしインドかいしゃ】
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デジタル大辞泉
「オランダ東インド会社」の意味・読み・例文・類語
オランダ‐ひがしインドがいしゃ〔‐ひがし‐グワイシヤ〕【オランダ東インド会社】
1602年、オランダの諸会社が合同で設立した会社。政府の保護のもとに、ジャワ島を中心にして、独占的に香料貿易や植民地経営に当たった。1799年解散。
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世界大百科事典内のオランダ東インド会社の言及
【大航海時代】より
…第1回のオランダ船隊は1596年にジャワのバンテンに到着し,コショウを積荷にして帰国した。その後多くの会社が組織され,多くの船隊がアジアに派遣されたが,1602年になってこれが統合されて連合東インド会社(オランダ東インド会社)が設立された。会社は初めモルッカ諸島を中心として活動していたが,19年にJ.P.クーンによって現在のジャカルタの地に根拠地が建設され,バタビアと命名された。…
【マレーシア】より
…ムラカ王国はジョホールに移り,ジョホール王国となった。ジョホール王国は国際貿易で繁栄したが,この間にポルトガルの植民地であったムラカは1641年にオランダ東インド会社に占領された。18世紀に入るとスラウェシからのブギス族の移住もあって,半島にジョホール,パハン,クランタン,トレンガヌ,ペラ,ケダ,スランゴールの諸王国が分立した。…
※「オランダ東インド会社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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