旺文社日本史事典 三訂版 「バタビア」の解説
バタビア
Batavia
初めジャカルタと称していたが,16世紀オランダの東洋進出に伴いバタビアと改称。以後オランダ東インド会社のアジア進出の根拠地となる。鎖国前には日本からの移民もあった。
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インドネシアの首都ジャカルタのオランダ領時代の呼称。第二次世界大戦中にジャカルタと改称。
[編集部]
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…やがて東インドに来航する船は激増し,各地の航海会社間の競争を解消するために,1602年にオランダ東インド会社が設立された。バンテン王国の藩属国ジャカルタは良港であったため,イギリス,オランダ両国の争奪の的となり,イギリス・バンテン連合軍はオランダの要塞を19年に包囲したが,第4代オランダ東インド総督J.P.クーンはこれを守り通し,正式にこの地をバンテン王から譲り受けてバタビアと改称した。クーンはモルッカ諸島の香辛料貿易にも進出し,バンダ諸島の原住民を殺したり移住させたりしてニクズクの収穫をほとんど独占した。…
…ジャワ島北西部海岸,チリウン河口に位置する。オランダ植民地時代の旧名はバタビアBatavia。首都特別州を形成し,面積590km2,人口916万(1996)。…
…その後多くの会社が組織され,多くの船隊がアジアに派遣されたが,1602年になってこれが統合されて連合東インド会社(オランダ東インド会社)が設立された。会社は初めモルッカ諸島を中心として活動していたが,19年にJ.P.クーンによって現在のジャカルタの地に根拠地が建設され,バタビアと命名された。会社はモルッカ諸島からポルトガル人を駆逐することはできたが,チモール島とマラッカを占領することはできなかった。…
※「バタビア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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