馬島(読み)うましま

日本歴史地名大系 「馬島」の解説

馬島
うましま

[現在地名]田布施町大字馬島

現田布施町の南端、梶取かんどり岬の東南海上に浮ぶ四平方キロの小島。東北の海岸に砂礫が堆積して浅瀬が多く、島の中央に要害ようがい(一〇九・五メートル)がある。上関宰判に属した。

伊勢神宮の御師が守札の配布先を記した中国九州御祓賦帳の享禄五年(一五三二)分に「むまのしまの七郎大夫殿」とみえる。寛永三年(一六二六)の熊野帳に馬島と記される。西南に浮ぶ牛島うしま(現光市)に対して名付けられたという(注進案)

「地下上申」によれば、総石高六〇石三斗余、総家数四一軒、うち本百姓一一軒、総人口一一五人。村内には城ヶ鼻・才潮・大浦・大潮・川ノ本・神田・賀茂神田・浜・岩ノ鼻・白浜・羽根島・丸山の小名がある。

馬島
うましま

[現在地名]小倉北区馬島

小倉市街地の北方響灘にある島。小六連こむつれともいう。面積〇・二六平方キロ、最高所三四メートル。「日本書紀」仲哀天皇八年正月四日条にみえる「没利嶋」は六連島に比定される。「能因歌枕」に「むつろの嶋」とある歌名所であった。日帳(永青文庫)の寛永五年(一六二八)二月一一日条に「もつれ嶋」とある。正保国絵図に長門領の「大モツレ嶋」(現山口県下関市)とともに「小モツレ嶋 豊前領」がみえ、その澗は西南の風によく、船十艘ほどを係留できると記される。「長門国志」に「小なるを馬島といふ、豊前国企救郡に属せり(中略)六ツ連なれる故に然云ふなり」という。同郡今村手永に付属したとされる(「忠固公年譜」県史資料九)

馬島
うましま

[現在地名]今治市馬島

来島くるしま海峡中の島。面積は島・島に次ぐ三番目の小島。最高地点は南部の城ノ台八八メートルで、比較的平坦である。江戸時代には牧島とも書き、今治藩の馬の放牧場であった。

西部には古墳があり、東岸には塚穴という字もあるが、島の開発は対岸の大島椋名むくな(現越智郡吉海町)からで、慶安四年(一六五一)の八幡新田検地帳によると、(塩見)六左衛門と仁左衛門の二人が、その前年に六反余を開いたのが初めである。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬島」の意味・わかりやすい解説

馬島
うましま

北九州市戸畑区沖合い約4キロメートル、響灘(ひびきなだ)にある小島。北九州市小倉北区(こくらきたく)に属す。古第三紀層からなる細長い低い台地状の島で、最高点は34メートル、面積0.26平方キロメートル。和合良(わごら)島、片島とともに小六連島(こむつれじま)ともいい、山口県下関市の六連島とはわずか300メートルを隔てて対している。2004年(平成16)下関市から六連島を経由して海底送水管が敷かれ、飲料水不足が解消した。産業は10戸余りの漁家による小型底引網などの近海漁業が中心であるが、10ヘクタールの栽培漁場が造成され、アワビサザエなどの育成、魚類養殖に力を入れている。夏は海水浴場としてにぎわい、紫川河口の小倉港から市営定期船がある。人口47(2009)。

[石黒正紀]

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デジタル大辞泉プラス 「馬島」の解説

馬島〔愛媛県〕

愛媛県今治市、四国と広島を結ぶしまなみ海道の来島(くるしま)第二大橋と来島第三大橋を固定する巨大な橋台が設置された島。来島群島に属し、面積は約0.5平方キロメートル。江戸時代中期に今治藩の馬の放牧地として利用されていたことが島名の由来

馬島〔筑前諸島〕

筑前諸島に属する島のひとつ。山口県下関市の六連島(むつれじま)の南西約300メートルの響灘に位置し、古くは「小六連島」とも呼ばれたが、現在は福岡県北九州市小倉北区の一部。面積約0.26平方キロメートル。漁業が盛ん。

馬島〔島根県〕

島根県浜田市瀬戸ケ島町、浜田湾の東側にある島。18世紀に、地元の豪商・三沢家の所有となり、「三沢島」と呼ばれたこともある。

馬島〔広島県〕

広島県呉市、三津口湾にある無人島

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