日本大百科全書(ニッポニカ) 「道(思想)」の意味・わかりやすい解説
道(思想)
みち
中国思想では、人生論あるいは政治論での規範・模範としての意味と、宇宙論あるいは生成論での存在根拠、存在の法則としての意味との、両者を含む概念である。原始儒家(じゅか)では、「道」「先王之道」「聖人之道」「人道」などのことばを使い、その内容は仁、仁義、礼義など倫理的、政治的規範や理想の意味をもつものであった。これに対して道家(どうか)での道は、感覚的にはとらえられないが実体としては存在し、万物を生み出す根源であると同時に万物に内在してそれぞれの働きをなさしめるという、万物の根源、宇宙の究極者としての存在である。こうした道についての叙述は『老子』に始まり、『荘子』を経て漢(かん)初の『淮南子(えなんじ)』原道篇(へん)に至って完成する。道家はこうした道を模範として人もまた行為すべきだと考える。儒家はいわゆる道徳的、政治的規範としての道は説いたが、実体としての道は説かず、その点で独自な道を説いたこの学派は道家とよばれることとなった。この道家の道の思想はその後儒家にも影響を与え、『易』繋辞(けいじ)伝には、感覚的にとらえうる形而下(けいじか)の器に対して、超感覚的な形而上のものを道だと定義して、現象の背後にある究極者としての道を考えるようになった。後の宋学(そうがく)での理気論の理は、万物に内在してその物を成り立たしめる根拠であると同時に、倫理的な仁義礼智(ち)という生得的本性だとされるが、道はこの理にあたるものとされ、人生論と宇宙論の両者にわたる究極的な概念とされるようになる。
[澤田多喜男]
日本思想史における道
基本的には通路の意である。究極のありようへ至るためにたどらるべき具体的階梯(かいてい)をいう。たとえば伊藤仁斎(じんさい)は、日常眼前の人間関係の交わりを道という。人間関係の交わりは生々化々して窮まることがない。道に参与する営為は忠信とよばれる。忠信を通じて人は仁へと高められていくのである。荻生徂徠(おぎゅうそらい)における道は、中国古代の為政者たる聖人によって制作された制度体系としての礼楽刑政である。礼楽刑政は六経(りくけい)に書き記されてあり、人をして親愛長養ならしめ、その生の志を遂げしめるものである。本居宣長(もとおりのりなが)は、その時々の風儀人情に従うものとしての生まれながらの真心を道とよぶ。「ほどほどにあるべきかぎりのわざをして、穏(おだい)しく楽しく世をわたる」ことが道なのである。このように道の内実をどうとらえるかは、これらの近世の思想家にあってもかなりの隔たりがある。しかし、眼前に置かれた、いわば成り続けていくものとしての事象を意識的に受け止めて道とし、そこに究極のありように至る方途をみいだしている点で共通していよう。色道、武士道、芸道、花道などは、そうした道がより個別的・限定的場面において展開せられたものである。
[佐藤正英]
『寺田透著『道の思想』(1978・創文社)』▽『山田宗睦著『道の思想史』上下(1975・講談社)』▽『福永光司編『老子』(朝日新聞社・朝日文庫)』▽『小川環樹訳注『老子』(中公文庫)』▽『津田左右吉著『道家の思想と其の展開』(1933・岩波書店)』▽『津田左右吉著『論語と孔子の思想』(1946・岩波書店)』