藤原明子(読み)ふじわらのあきらけいこ

精選版 日本国語大辞典 「藤原明子」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐あきらけいこ【藤原明子】

文徳天皇女御清和天皇の母。良房の娘。染殿の后とも。藤原冬嗣の娘順子が入内して文徳天皇を産んだのに続き、明子が清和天皇を産むに及び藤原氏外戚としての地位は不動のものとなる。また「今昔物語」には、物の怪(け)に悩まされた后が加持祈祷(きとう)に来た金剛山の僧と狂乱するという話がみえ、類似説話が多い。天長五~昌泰三年(八二八‐九〇〇

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デジタル大辞泉 「藤原明子」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐あきらけいこ〔ふぢはら‐〕【藤原明子】

[829~900]文徳天皇の女御。良房の娘。清和天皇を生み、藤原氏の外戚としての地位を確立させた。染殿の后。名は「めいし」とも。

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改訂新版 世界大百科事典 「藤原明子」の意味・わかりやすい解説

藤原明子 (ふじわらのあきらけいこ)
生没年:829-900(天長6-昌泰3)

平安初期の女御。良房の長女。文徳天皇に入内して,惟仁親王(清和天皇),儀子内親王を生んだ。858年(天安2)清和天皇即位とともに皇太夫人,864年(貞観6)皇太后,さらに882年(元慶6)太皇太后となった。文徳,清和,陽成,光孝,宇多醍醐の6代50年にわたり,〈染殿(そめどの)の后〉と呼ばれて後宮重きをなした。良房が〈年経れば齢は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし〉と詠じて,明子を桜花にたとえた話は名高い。〈染殿の后〉の称も良房の邸〈染殿〉(正親町小路の北,京極大路の西にあった)によっている。また在世中,仏道に志篤く,京,奈良の40ヵ寺に盛大な転読供養を営んだり,貧民を救恤したりした。《今昔物語集》には,美麗な染殿の后に迷った聖人が天狗となって后を悩ませる話がある。
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朝日日本歴史人物事典 「藤原明子」の解説

藤原明子

没年:昌泰3.5.23(900.6.22)
生年:天長5(828)
平安前期の文徳天皇の女御,清和天皇の母。藤原良房と嵯峨天皇の皇女源潔姫の娘。名は「あきらけいこ」とも。染殿后と称される。文徳天皇の東宮時代に後宮に入り,即位の年の嘉祥3(850)年4男惟仁親王(清和天皇)を生んだ。同年親王は立太子した。このほか,賀茂の斎院となった儀子内親王を生んでいる。仁寿3(853)年従三位に叙せられ,天安2(858)年清和天皇即位とともに皇太夫人,従一位となる。このとき,清和天皇と共に東宮に遷御し,貞観8(866)年常寧殿に遷るまでの10年余り天皇と同居した。貞観6年には清和天皇元服に伴い皇太后となり,元慶6(882)年には孫陽成天皇の元服により太皇太后となった。文徳,清和,陽成,光孝,宇多,醍醐の6代にわたり,後宮に重きをなした。『古今集』には父良房が明子を桜花にたとえて詠んだ歌が残る。また染殿后の美しさに迷った聖人が鬼となって后を悩ませる話が『今昔物語集』などに伝わっている。

(谷口美樹)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原明子」の解説

藤原明子 ふじわらの-めいし

828-900 平安時代前期,文徳(もんとく)天皇の女御(にょうご)。
天長5年生まれ。藤原良房の娘。母は源潔姫(きよひめ)。惟仁(これひと)親王(清和天皇),儀子内親王を生む。清和天皇即位により皇太夫人,従一位となる。のち皇太后,太皇太后。染殿后(そめどののきさき)とよばれ,天狗になやまされた説話が「今昔物語集」などにつたわる。昌泰(しょうたい)3年5月23日死去。73歳。名は「あきらけいこ」ともよむ。

藤原明子 ふじわらの-あきらけいこ

ふじわらの-めいし

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「藤原明子」の解説

藤原明子
ふじわらのあきらけいこ

828~900.5.23

文徳天皇の女御(にょうご)。染殿后(そめどののきさき)と称された。父は藤原良房。皇太子道康親王(文徳天皇)の妃となり,850年(嘉祥3)惟仁(これひと)親王(清和天皇)を生んだ。858年(天安2)の清和天皇即位にともなって皇太夫人となり,864年(貞観6)の元服まで天皇と同居して後見した。同年皇太后,882年(元慶6)太皇太后となる。物の怪がちであったという。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原明子」の意味・わかりやすい解説

藤原明子
ふじわらのめいし

[生]天長5(828)
[没]昌泰3(900).5.23.
文徳天皇の女御。染殿后。清和天皇の母。良房の娘。父良房が初めて人臣摂政となる因となった。

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世界大百科事典(旧版)内の藤原明子の言及

【藤原明子】より

…平安初期の女御。良房の長女。文徳天皇に入内して,惟仁親王(清和天皇),儀子内親王を生んだ。858年(天安2)清和天皇即位とともに皇太夫人,864年(貞観6)皇太后,さらに882年(元慶6)太皇太后となった。文徳,清和,陽成,光孝,宇多,醍醐の6代50年にわたり,〈染殿(そめどの)の后〉と呼ばれて後宮に重きをなした。良房が〈年経れば齢は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし〉と詠じて,明子を桜花にたとえた話は名高い。…

【源高明】より

…平安中期の公卿。西宮左大臣と称せられる。醍醐天皇皇子,母源唱女更衣周子。920年(延喜20)源氏賜姓。929年(延長7)元服,翌年従四位上で出身。939年(天慶2)参議となり,累進して冷泉天皇の968年(安和1)左大臣に昇ったが,翌年安和(あんな)の変により失脚,大宰員外帥として配流された。右京四条の彼の広大な西宮第は配流後炎上するが,この邸のことは慶滋保胤の《池亭記》にも記されている。972年(天禄3)帰京,封戸も賜ったが政界には復帰しなかった。…

※「藤原明子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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