荒野の決闘(読み)コウヤノケットウ(英語表記)My Darling Clementine

デジタル大辞泉 「荒野の決闘」の意味・読み・例文・類語

こうやのけっとう〔クワウヤのケツトウ〕【荒野の決闘】

My Darling Clementine米国映画。1946年作。監督フォード実在の保安官ワイアット=アープが、弟を殺したならず者のクラントン一家と対決する西部劇

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「荒野の決闘」の意味・わかりやすい解説

荒野の決闘 (こうやのけっとう)
My Darling Clementine

1946年製作のアメリカ映画。ジョン・フォードの戦後初めての作品で,西部劇の名作。トーキー以後,この作品までにフォードが撮った西部劇は《駅馬車》(1939)1本だけであったが,この映画のヒットの後,翌47年から50年までの3年間に《アパッチ砦》《三人の名付親》(ともに1948),《黄色いリボン》(1949),《幌馬車》《リオ・グランデの砦》(ともに1950)の5本を次々とつくり,この時期にその名が西部劇と切り離せないものになる(日本では〈西部劇の神様〉と呼ばれる)。西部史上に名高い〈OKコラルの決闘〉に材をとり,保安官ワイアット・アープと無法な牧畜業者クラントン一家の対決を中心にしたプロット自体は型どおりなものだが(ランドルフ・スコット主演,アラン・ドワン監督の《国境守備隊》(1939)のリメークでもある),公開当時の批評で〈荒野酒場,安ホテル等々,並の西部劇では単にアクションが演じられるうしろにある書割でしかないものが,ここでは物語を語り始める〉と評されたように,開拓時代の町の生活感,バーテン,旅役者,床屋等々に至る西部に暮らす人々の生き生きとした点描,そして荒涼たる風景の中に漂う詩情がこの映画の魅力を形成している。日曜日の朝,建設途上のまだ屋根のない教会でのスクエアダンスのシーンは,その最たる名場面とされる。また,最後の銃撃戦は,フォードの従軍体験を生かしたリアリスティックな描写になっている。ジョセフ・マクドナルドの撮影によるモノクロ画面の,広々とした空間の表現,雲の美しさなども特筆されるべきもので,〈もっとも撮影のみごとな西部劇の1本〉に数えられる。主人公ワイアット・アープには,フォードの《若き日のリンカーン》(1939),《怒りの葡萄》でアメリカの民主主義を体現する理想的ヒーローを演じたヘンリー・フォンダが扮(ふん)し,西部男の好もしい素朴さを表現。原題は美しい娘のことをうたった民謡からとられたもので,そこでうたわれている〈愛しのクレメンタイン〉が,そのまま,アープが淡い恋情をよせるヒロインの名まえに使われた。映画のヒットによりこの民謡も有名になった。フォードは《黄色いリボン》でも再び,女性への思いをうたった民謡を使い,それを題名にしている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「荒野の決闘」の解説

荒野の決闘

1946年製作のアメリカ映画。原題《My Darling Clementine》。ジョン・フォード監督による西部劇の古典。出演:ヘンリー・フォンダ、リンダ・ダーネル、ビクター・マチュア、キャシー・ダウンズほか。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の荒野の決闘の言及

【フォンダ】より

…ヘンリー・ハサウェー監督《丘の一本松》(1936),フリッツ・ラング監督《暗黒街の弾痕》(1937),ウィリアム・ワイラー監督《黒蘭の女》(1938),ジョン・フォード監督《若き日のリンカーン》(1939),《怒りの葡萄》(1940)などで〈アメリカの小さな良心〉を体現し,演技力のあるスターとして注目される。42年,海軍に志願して服役したあと,ジョン・フォード監督《荒野の決闘》(1946),《アパッチ砦》(1948)などに出演。そのあとブロードウェーの《ミスター・ロバーツ》(1948)がヒットして続演をかさね,55年,その映画化でハリウッドへ復帰,さらにブロードウェーとテレビの出演をつづけながら,西部劇,喜劇,メロドラマ,戦争映画と多彩なジャンルで活躍して,78年にはアメリカ映画協会(AFI)の功労賞を受賞した。…

※「荒野の決闘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」