ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リンカーン」の意味・わかりやすい解説
リンカーン
Lincoln, Abraham
[没]1865.4.15. ワシントンD.C.
アメリカの政治家。第 16代大統領 (在任 1861~65) 。ケンタッキー州の農民の子として生れ,インディアナ州,次いでイリノイ州に移り,ニューセーレムで商店の経営,測量士などさまざまな仕事をしながら独学で法律を勉強,1836年弁護士の資格を取得してスプリングフィールドで開業。 34~40年ホイッグ党イリノイ州議会議員となり,46年連邦下院議員に当選,一期 (47~49) をつとめて引退。 54年カンザス=ネブラスカ法の成立に憤激して政界復帰を決意し,共和党の結成に参加。 58年 S.ダグラスを敵として連邦上院議員候補となり,敗北はしたが7回にわたって行われた「リンカーン=ダグラス論争」によって全国的に有名となった。 60年共和党の大統領候補に指名され,当選。南北対立の激化を前にリンカーンは連邦の維持を政策目的として努力したが,61年4月には南北戦争が開始された。戦況は初め北軍に不利であったが,62年9月戦況が好転しはじめた。同月 22日奴隷解放予備宣言を公布,63年1月1日に奴隷解放宣言を発布し,反乱状態にある南部諸州の奴隷解放を宣言。軍事的に後方攪乱をはかるとともに北部,あるいは海外の世論を味方につけ,南部連合側とイギリスの同盟をはばんだ。戦争中の 64年大統領選挙で再選。戦争が終りに近づくにつれ,寛大な措置による南部の早期連邦復帰を計画したが,南軍 R.リー将軍降伏 (65.4.9.) 後,65年4月 14日フォード劇場で観劇中,南部人俳優 J.ブースによって撃たれ,翌朝死亡した。
リンカーン
Lincoln
リンカーン
Lincoln, Benjamin
[没]1810.5.9. ボストン
アメリカ独立革命期の軍人。 1755~76年マサチューセッツ民兵軍に参加。独立戦争に少将として活躍。サラトガの戦いで戦功を立て,南部方面独立軍司令官となってチャールストンで戦ったが,降伏し捕虜となった。交換釈放後ヨークタウンの戦いで活躍。 81~83年連合会議 (→大陸会議 ) の陸軍総監。 87年マサチューセッツ政府軍を率いて D.シェイズの反乱を鎮圧。 88年マサチューセッツ邦副知事。 89~1809年ボストン港関税徴収官。
リンカーン
Lincoln, Mary Todd
[没]1882.7.16. イリノイ,スプリングフィールド
アメリカ第 16代大統領 A.リンカーンの夫人。イリノイ州スプリングフィールドでリンカーンに会い,1842年 11月4日に結婚した。4人の息子があったが,長男以外,みな夭折した。感情の起伏が激しい女性で,南部に親類がいたことや,浪費癖があったことなどのため,国民には不人気であった。 70年以降年金を給与されたが,75年精神障害者と認定された。
リンカーン
Lincoln
リンカーン
Lincoln
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