聖(せい)(読み)せい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「聖(せい)」の意味・わかりやすい解説

聖(せい)
せい

聖とは、神聖のことであり、原始宗教からキリスト教仏教などの世界宗教のなかにも含まれている。ただし、聖観念の内容については、民族に応じ、社会の違いに応じて異なっており、同じことばで包括することには疑問がある。けれども聖という語を便宜上用いることには異論はないだろう。

 聖観念は、セム人の宗教を研究したイギリスのローバートソン・スミス以来、ジェームズ・フレーザー、マレットによって用いられたが、とらえ方は若干異なっていた。

 聖観念の研究で、後世の実証的研究にもっとも大きな影響を与えたのは、フランスのエミールデュルケームである。デュルケームは宗教を、「神聖なものに関連する信仰と実施との連帯的な体系」とし、聖観念を宗教の中心に位置づけた。ただ宗教のなかには、原始宗教も含めて、聖観念を伴わない観念、掟(おきて)、法、規範などが含まれていることがあり、宗教のこの定義は狭すぎるきらいがある。デュルケームは聖の根底に社会的なものがあると考えた。デュルケームと同じくドイツのルドルフ・オットーも聖を宗教の本質的な観念と考え、純粋に宗教的・非合理的な意味での聖をヌミノーゼとよんだ。「聖なる」を意味する英語のsacred「セイクレッド」やフランス語のsacré「サクレ」の語源にあたるラテン語の「サケル」sacerは、「聖なる」という意味のほかに、「消えない汚れ」「呪(のろ)われた」の意味があり、「神々に捧(ささ)げる」「崇拝に値する」とともに「恐ろしい」という意味を含んでいる。E・バンブニストは、聖観念は古代インド・ヨーロッパ語の比較検討から、聖なるものに満ちた「積極的」な側面と、人々に禁じられているという「消極的」な側面とが存在することを指摘している。エリアーデは、宗教現象の根底には俗的・日常的世界に対立する聖性が貫かれているとし、その聖性が神話儀礼、象徴、物、人などに現れる(これをヒエロファニーhierophanie、聖性具現とよぶ)と論じた。

 多くの社会に日常的・俗的生活と聖なる生活とが、また俗的世界と穢(けが)れとが分離されており、何と対比されるかによって、あるいはコンテクストの違いによって、聖が穢れに転換し、穢れが聖に転換することがある。ラテン語の「聖」に両方の意味があるのはこのためであろう。たとえば、インドネシアバリ島南部では、北側が、宗教的に穢れているとされる「海側」(南側)と対比されるときには、それは「山側」となり、聖なる方位であるが、最高司祭が東方に神々を拝むとき、地上に悪霊への供物を置くときは、北は下界に通ずる方位であり、下層の司祭は北に向かって下界の神ウィシュヌや悪霊(ブタ・カラ)に祈る。同様にバリ島では、祭具を海で清めるとき、海は神聖な浄化の力をもつが、北の「山側」と対比するときは穢れたところである。

[吉田禎吾]

『M・エリアーデ著、風間敏夫訳『聖と俗』(1978・法政大学出版局)』『M・エリアーデ著、堀一郎訳『大地・農耕・女性――比較宗教類型論』(1968・未来社)』

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