社稷壇(読み)しゃしょくだん(英語表記)shè jì tán

改訂新版 世界大百科事典 「社稷壇」の意味・わかりやすい解説

社稷壇 (しゃしょくだん)
shè jì tán

中国において社(土地の神)と稷(穀物の神)をまつる方形の壇。四角は大地象徴歴代皇帝犠牲をささげ,五穀豊穣国家平安を祈ったところ。北京故宮博物院(かつての紫禁城)内に明代に造られたものが現存する。壇上は五行思想にのっとり,黄色を中心に5色の土で敷き分けられている。ソウルに残る李朝時代のものは,社壇と稷壇の二つが東西にならぶ。〈社稷〉の語はしばしば国家の代名詞として使われた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「社稷壇」の意味・わかりやすい解説

社稷壇
しゃしょくだん
She-ji-tan

中国で社稷を祀る壇。社稷を祀るのは国家の重要な祭儀であるため,首都をはじめ府,州,県城にいたるまで社稷壇が設けられた。首都では都市の中軸儀をはさんで社稷壇は西に宗廟は東に設けられ,また社稷壇内では社壇が東,稷壇が西に配されて,ともに方約 150m,高さ約 1.5m,2壇の間隔は約 150m,社壇のみ表面が赤,白,青,黒,黄で装飾された。明代初期に社稷を不可分とする一神説がとられ,二成の壇に変えられた。現在紫禁城の西前方の中山公園にある社稷壇は明代のものを継承したものである。

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世界大百科事典(旧版)内の社稷壇の言及

【故宮】より

…地域は南北960m,東西760mで,高さ10mの厚い城壁に囲まれ,四面に各1門,四隅に角楼を設け,その外に幅50m余の堀をめぐらす。もとの皇城の正門に当たる天安門から,東の太廟(現,中山公園)と西の社稷(しやしよく)壇(現,労働人民文化宮)の間を通り,端門をへて宮城の正門である午門に達する。これをくぐると,御河に架した金水橋を隔てて太和門があり,内に太和殿,中和殿,保和殿の3大殿が南北に並び,きわめて壮観である。…

【壇】より

… 祀天祭地をはじめ,古代中国の祭祀制度には自然信仰の面がつよく,歴代王朝が建設した壇もその内容を反映している。実際の建築としては,祭祀,跪拝を行う本来のかたちの露壇と,空間構成をもつ建築群からなる祠廟という両種の形態をとる場合があるが,一般にこれらを併せて壇廟と総称することが多く,天壇地壇,日壇,月壇および社稷(しやしよく)壇,水・火・山・川の壇,あるいは城隍(じようこう)廟,土地廟,四瀆(しとく)や五岳の廟,先蚕廟,風・雲・雷・雨諸神の廟などが建設された。歴史を通じて重要な儀礼とされた天子祀天の壇は,泰壇,郊壇,郊丘,郊兆,圜丘(えんきゆう),円丘,天壇等とよばれ,都城の南郊に設けられるのが原則で,前漢の成帝が前32年(建始1)に長安に築いたのをはじめ,歴代王朝の多くが建設したが,規模,形式は一定ではない。…

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