日本大百科全書(ニッポニカ) 「登米」の意味・わかりやすい解説
登米
とよま
宮城県北東部、登米郡(とめぐん)にあった旧町名(登米町(まち))。現在は登米(とめ)市の中東部を占める地域。旧登米町は、1889年(明治22)町制施行。2005年(平成17)迫(はさま)、東和(とうわ)、中田(なかだ)、豊里(とよさと)、米山(よねやま)、石越(いしこし)、南方(みなみかた)、津山(つやま)の8町と合併して市制施行し、登米市となった。東部は北上(きたかみ)高地南部の丘陵性山地、西部は低地で水田が広がる。北上川が中央部を南流し、中心集落はその西岸に位置する。国道342号が通じる。「ひとめぼれ」など銘柄米の栽培や肉用牛の飼育が盛んで、そのほかシイタケ栽培も行われている。8世紀末の史料に陸奥(むつ)国遠山村(とおやまむら)との記述があり、これが「とよま」に転訛(てんか)したといわれる。宮城県北東部と岩手県南部を支配していた葛西(かさい)氏は、1536年(天文5)石巻(いしのまき)から本拠を寺池城(登米城)に移した。葛西氏滅亡後、豊臣(とよとみ)秀吉の家臣木村氏が居城としたが、葛西大崎一揆(いっき)により落城した。近世には仙台藩伊達(だて)家の一門登米伊達家2万石の城下町、また北上川の河港として発達し、明治には登米県、水沢県の県庁が置かれた。旧県庁舎、登米高等尋常小学校(国の重要文化財)、旧警察署(県の重要文化財)など明治期の建物が残され、それぞれ水沢県庁記念館、教育資料館、警察資料館として保存されている。県指定文化財の天山廟(てんざんびょう)(4代藩主の霊廟)や登米伊達家の文化財などを収める懐古館がある。登米秋まつりは古い伝統をもち、薪能(たきぎのう)が行われる。
[後藤雄二]