青島貝塚(読み)あおしまかいづか

日本歴史地名大系 「青島貝塚」の解説

青島貝塚
あおしまかいづか

[現在地名]南方町 青島屋敷

はさま川西岸流域、伊豆いず沼・なが(現迫町など)周辺貝塚群を代表する一つの主淡貝塚で、オオタニシヌマガイイシガイなどを主体とする。奥羽山脈から東に延びる丘陵が先端でシダ状に分枝し、その丘陵東端に島嶼状に存する標高二〇メートルの小丘陵、北に突き出した舌状台地の東西斜面にあり、環状貝塚状となっている。大正七年(一九一八)一四体の埋葬人骨が発見され、青島人骨と名付けられ、出土土器には青島式と命名されて土器編年の基準となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の青島貝塚の言及

【南方[町]】より

…北上川の支流,旧迫(はさま)川流域の低地が大部分を占め,北西部は築館丘陵に属する。縄文後・晩期の内陸型貝塚として知られる青島貝塚がある。中世には新田一族登米(とよま)氏の支配下となり,近世には伊達氏の重臣津田氏の所領となったが,1757年(宝暦7)に改易され,亘理氏が支配した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」