浄泉寺(読み)じようせんじ

日本歴史地名大系 「浄泉寺」の解説

浄泉寺
じようせんじ

[現在地名]今市市今市

旧今市宿西部北側屋並の裏側、春日かすが町にある。青雲山とも瑠璃光山清光院とも号し、浄土宗本尊は慈覚大師作と伝える薬師如来立像。もと和泉いずみ(現日光市)にあった上泉じようせん寺が、慶長年間(一五九六―一六一五)現在地に移り、浄泉寺と改めて如来寺末寺となったとも伝える。如来寺の惣記録(如来寺蔵)には元亀三年(一五七二)清光院慶誉厳長を開基として草創され、瑠璃光山清光院と号するとあり、慶誉の死去を慶長元年四月八日としている。

浄泉寺
じようせんじ

[現在地名]尾道市西久保町

亀山かめやま八幡神社の西にあり、遊亀山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。照源しようげん(現御調郡御調町)住職の弟宗円が大永五年(一五二五)に御調郡市原いちはら村に道場建立、天文一二年(一五四三)尾道観音院の跡地に移したのが当寺と伝える。本堂は明治二一年(一八八八)火災に遭い、同四二年に再建された。

浄泉寺
じようせんじ

[現在地名]八王子市館町

御霊山と号し、本尊釈迦如来。曹洞宗。開基は八王子城主北条氏照の家臣近藤出羽守綱秀、開山は嶽応儀堅。嶽応儀堅は天正一五年(一五八七)、近藤綱秀は同一八年に没したとされるので、創建は天正年間と考えられる。寺に隣接する御霊ごれい神社は横山党一族全滅の怨霊を鎮める神社と思われ、浄泉寺の山号の由来となっている。天正九年正月一七日の近藤綱秀制札写(風土記稿)によれば、綱秀は浄泉寺構の周囲を留林に定め、竹木・下草伐採を禁止している。

浄泉寺
じようせんじ

[現在地名]岩井市上出島

境街道から北に入ったところ、鵠戸くぐいど沼から派生するヤトを南面に見下ろす台地に所在。出島山と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。創立は文永二年(一二六五)で、もとは三論宗であったと伝えられる。現在の浄泉寺の開山は岩井の高声こうしよう寺三世持名で、持名を当寺の一世としている。

浄泉寺
じようせんじ

[現在地名]守谷町守谷

雲天うんてん寺東南方に位置。祐国山地蔵院と号し浄土宗。本尊阿弥陀如来。現水海道みつかいどう市の弘経ぐぎよう寺の末寺であった。慶安元年(一六四八)の創立と伝えられ、境内地蔵堂に胎内地蔵尊を安置していたので、地蔵浄土じぞうじようど寺と称されたが、のち浄泉寺と改名

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報