法眼寺(読み)ほうげんじ

日本歴史地名大系 「法眼寺」の解説

法眼寺
ほうげんじ

[現在地名]松江市外中原町 鷹匠町

月照げつしよう寺北方にある曹洞宗寺院。円輝山と号し、本尊釈迦如来。「雲陽誌」に開基は円輝院智山融徳、あるいは古老伝として白鹿しらが城の城主と記される。「出雲鍬」は開基を佐々木良左衛門信綱とする。「雲陽大数録」によると寺地は転々としたようで、「法眼寺者三ノ丸助次橋ノ所ニ有リ、此所ヲ引テ百姓町入口ノ所ニ移ス、夫レヨリ今ノ黒田ニ移ス」とある。「出雲鍬」は「此の寺は今の御城亀田山在之と云、堀尾氏城普請に付て大橋柳の辺五町為替地、又其後百姓町牢屋在之所と語侍り」と記す。

法眼寺
ほうげんじ

[現在地名]黒石市山形町

山形やまがた町の東部南側にあり、宝厳山と号し、黄檗宗。本尊大日如来。寺伝によれば、元禄四年(一六九一)豪家加藤勘兵衛が施主となり、僧南宗が温湯薬師ぬるゆやくし寺の替寺として開基。以後黒石津軽家の祈願所となったという(烏城志)本堂は明和六年(一七六九)再建。鐘楼堂は延享三年(一七四六)建立

「新撰陸奥国誌」によれば、この寺の鐘は享保八年(一七二三)武蔵国で鋳造され、運送中海難に遭って沈没した。

法眼寺
ほうげんじ

[現在地名]玉造町芹沢

曹洞宗、医王山と号し、本尊は不動明王。初め東福とうふく寺と称したが、天正末期の兵乱で焼け慶長年中(一五九六―一六一五)に再建、寛文年中(一六六一―七三)東福寺を廃し、その跡に法源ほうげん寺を建て、その後まもなく法眼寺と改めたといわれる(芹沢家文書)開基帳(彰考館蔵)には東福寺として「此寺開山ハ永正元甲子年喜叟和尚開山ニ当卯迄百六拾年、但芹沢城主為菩提之建立仕由申伝」とあり、侍旦那二人、百姓旦那一一六人と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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