正法眼蔵随聞記
しょうぼうげんぞうずいもんき
鎌倉時代の仏書。6巻。日本曹洞(そうとう)宗の開祖道元(どうげん)が、嘉禎(かてい)年間(1235~38)、山城(やましろ)深草(京都市伏見(ふしみ)区)の観音導利(かんのんどうり)興聖宝林寺(こうしょうほうりんじ)にて、門下の僧俗に対して日常行った説示を、弟子の孤雲懐奘(こうんえじょう)が聞くに随(したが)って筆録したものをもとに編集された。体系的な書ではないが、仏道を学ぶ者の心得が細かに平易な文体で説かれている。本書には慶安(けいあん)刊本系と、面山瑞方(めんざんずいほう)校訂の明和(めいわ)刊本(流布本)系と長円寺本系とがあり、巻の配列、本文段章の有無などの相違があるが、近時、長円寺本系が古形を伝えているといわれている。
[伊藤秀憲]
『東隆眞編著『五写本影印 正法眼蔵随聞記』(1979・圭文社)』▽『西尾実他校注『日本古典文学大系81 正法眼蔵 正法眼蔵随聞記』(1965・岩波書店)』▽『水野弥穂子訳『正法眼蔵随聞記』(1963・筑摩叢書)』▽『安良岡康作校註・訳『日本古典文学全集27 正法眼蔵随聞記』(1971・小学館)』
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正法眼蔵随聞記
しょうぼうげんぞうずいもんき
鎌倉中期,曹洞宗開祖道元の語る教えをその弟子懐弉 (えじよう) が筆録した書
6巻。道元が宋から帰朝し山城の興聖寺に住した1234〜38年ころ,彼が語った法語を筆録したもので,曹洞宗最古の記録。仮名書きで平易に書かれ,道元の思想・人物を知るための絶好の書である。
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正法眼蔵随聞記
しょうぼうげんぞうずいもんき
道元の侍者,懐弉 (えじょう。 1198~1280) の編。6巻。道元の法話を,懐弉が聞いたとおりに平易な文章で筆記したもので,理解しやすく,道元自身の姿をいきいきと浮彫りにしている。
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しょうぼうげんぞうずいもんき シャウボフゲンザウズイモンキ【正法眼蔵随聞記】
興聖寺時代の道元の法語を弟子の
懐奘(えじょう)が集録したもの。六巻。嘉禎年間(
一二三五‐三八)の
成立。宗教生活のあり方がわかりやすく説かれる。
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デジタル大辞泉
「正法眼蔵随聞記」の意味・読み・例文・類語
しょうぼうげんぞうずいもんき〔シヤウボフゲンザウズイモンキ〕【正法眼蔵随聞記】
鎌倉時代の法語集。6巻。道元の法語を、弟子懐奘が記録した書。嘉禎年間(1235~1238)の成立。
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しょうぼうげんぞうずいもんき【正法眼蔵随聞記】
道元が嘉禎年間(1235‐38),日常その門下に語った修行の心がまえを,弟子の懐奘(えじよう)(1198‐1280)が克明に記録したもの。6冊の書冊にまとめられたのは懐奘没後のことである。嘉禎1年は,道元が京都郊外の深草に興聖寺を建立して2年目にあたり,懐奘が道元門下に加わったのはその前年である。嘉禎年間とはまさに初期道元僧団確立の時期にあたり,道元は種々の角度からあるべき修行僧の姿を説き明かしている。
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世界大百科事典内の正法眼蔵随聞記の言及
【しゃっくり】より
…この書には,トウガラシの粉をうどん粉に丸く包んで飲むというやや刺激的な方法もある。また,《正法眼蔵随聞記》には,病気は気の持ちようだから仏道にいそしめば病も起こらないという例として,しゃっくりをしている人につらいことをいえば,言い訳をしようと本気になるのにまぎれて止まると述べられている。日常多くみるのは驚愕,憤怒などの激しい情動や急ぎの食事などの際に起こる一過性の生理的なしゃっくりだから,横隔膜を強く刺激するくしゃみや特殊な嚥下には効果があると思われるし,その他のまじないも効いたとされることがあることになる。…
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