松方幸次郎(読み)まつかたこうじろう

精選版 日本国語大辞典 「松方幸次郎」の意味・読み・例文・類語

まつかた‐こうじろう【松方幸次郎】

実業家美術品収集家。正義の三男。川崎造船、国際汽船、松方日ソ石油などの社長歴任ヨーロッパで収集した美術品は、松方コレクションとして有名である。慶応元~昭和二五年(一八六五‐一九五〇

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百科事典マイペディア 「松方幸次郎」の意味・わかりやすい解説

松方幸次郎【まつかたこうじろう】

実業家,美術品収集家。鹿児島県出身。松方正義の三男。イェール大学ソルボンヌなどで学び,1896年川崎造船所社長に就任。軍艦の建造を中心に発展したが,昭和恐慌の際の不振で1928年辞任。1916年の渡欧以来ヨーロッパ絵画彫刻浮世絵など膨大な美術品を収集,浮世絵約8000点は東京国立博物館に納められ,1959年フランス政府から返却された絵画,彫刻など約370点の松方コレクションを納める国立西洋美術館が開設された。
→関連項目川崎重工業[株]松方三郎

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松方幸次郎」の意味・わかりやすい解説

松方幸次郎
まつかたこうじろう
(1865―1950)

明治・大正・昭和期の実業家。松方正義の三男として薩摩(さつま)(鹿児島県)に生まれる。大学予備門を中退エール、ソルボンヌ、オックスフォード各大学で法学を専攻した。帰国後、内閣書記官を経て、川崎造船所初代社長に就任。同社在任中、一貫して積極的な経営戦略を展開し、第一次世界大戦時には同社を日本最大の造船企業に成長させたが、大戦後不況期にその拡大戦略は行き詰まり、1927年(昭和2)には同社を破綻(はたん)させ、翌28年その責を負って同社を辞任した。その後32年ソ連との間に石油輸入協定を締結、松方日ソ石油を組織してその販売にあたった。なお政界にも意欲を示し、明治に一期、昭和に入って三期衆議院議員を務めた。また美術品の収集家としても著名で、その収集品は松方コレクションとして知られ、現在、西洋美術品は国立西洋美術館に、浮世絵は東京国立博物館に所蔵されている。

[柴 孝夫]

『藤本光城著『松方・金子物語』(1960・兵庫新聞社)』

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朝日日本歴史人物事典 「松方幸次郎」の解説

松方幸次郎

没年:昭和25.6.24(1950)
生年:慶応1.12.1(1866.1.17)
明治大正期の実業家。松方正義,満佐子の3男。鹿児島生まれ。東大予備門中退後,明治17(1884)年アメリカに留学。エール大学で法学博士号を取得し,23年帰国。日本火災副社長などを務めたのち,川崎正蔵 の創立した川崎造船所社長に29年に就任し,積極的な拡張戦略を遂行して,同社を一時は日本最大の造船企業に成長させた。本領が最も発揮されたのは第1次世界大戦期で,自らヨーロッパに出向き,同地から著名なストック・ボート政策や多角化を指揮した。その結果,同社は海運,製鉄部門を擁する巨大企業になったが,戦後の不況期には積極策が失敗して経営が危機を迎えたため,昭和3(1928)年に社長を退任した。この間,神戸商工会議所会頭のほか,神戸瓦斯など多数の企業に関係した。その後,7年にソ連の石油の輸入に従事,11年から敗戦まで衆院議員を務めた。松方コレクションと呼ばれる美術品を収集したことでも有名である。

(柴孝夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松方幸次郎」の解説

松方幸次郎 まつかた-こうじろう

1866*-1950 明治-昭和時代の実業家,美術品収集家。
慶応元年12月1日生まれ。松方正義(まさよし)の3男。アメリカのエール大,フランスのソルボンヌ大でまなぶ。明治29年川崎正蔵にまねかれて川崎造船所社長となる。45年衆議院議員(当選4回,日本進歩党)。昭和2年の金融恐慌のため翌年社長を辞任。ヨーロッパで収集した美術品は「松方コレクション」として知られる。昭和25年6月24日死去。84歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松方幸次郎」の意味・わかりやすい解説

松方幸次郎
まつかたこうじろう

[生]慶応1(1865).12. 鹿児島
[没]1950.6.24. 東京
実業家。松方正義の3男。エール大学,ソルボンヌ大学に学び,1896年神戸の川崎造船所社長に就任。第十五銀行を背景とした資金と有能な技術者を集めて積極的拡大経営を展開,明治末から第1次世界大戦期にかけて同造船所を日本有数の大造船所に育てた。大戦時から製鉄,機械,海運など関連分野にも進出したが,昭和恐慌時に経営危機に陥り,引退。西洋絵画収集家としても知られ,松方コレクションを残した。

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