百科事典マイペディア 「イェール大学」の意味・わかりやすい解説
イェール大学【イェールだいがく】
→関連項目コネティカット[州]|モンティ
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コネティカット州ニューヘヴン所在のアメリカ合衆国で3番目に古い大学。1701年ハーヴァードのピューリタン的宗教からの後退批判を一因として創設されたため,常に同大学と比較される宿命を負った。南北戦争前は「諸カレッジの生みの親」と称され,カレッジの学生数でも1870年頃までハーヴァードほかを圧倒していた。1828年のイェール・レポートは保守派のバイブルと見なされた。19世紀末に至るまで,有力な牧師を学長に迎えていた。他方,早くも1818年,現存の科学誌『American Journal of Science(and Arts)』を創刊し,アメリカ初のPh.D. 学位を61年に授与したイェールは,「進取の気性」も備えていた。今日のイェールはカレッジ・学術大学院ともに全米上位の水準を維持し,法学を中心に専門職大学院も高い評価を得ている。キャンパス・ライフの規則で革新性を示す一方,ゴシック風の学寮や図書館建築は全米一クラシックである。
著者: 立川明
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
…また建築,芸術の分野における草分け的研究としては,日本の民家を詳しく紹介したE.S.モースの《日本のすまいとその周囲》(1886)や,E.F.フェノロサの遺作《東亜美術史綱》(1912)と,詩人E.パウンドが発表したフェノロサの漢詩と能楽の研究も重要である。 ボストン美術館東洋部部長を務めた岡倉天心,イェール大学の朝河貫一(1873‐1948),コロンビア大学の角田(つのだ)柳作(1877‐1964)など,アメリカにおける日本研究に尽力した日本人の役割も見逃してはならない。朝河はイェール大学で博士号を取得し,1906年から同大学で日本語,日本史を担当するかたわら,日本関係図書も収集し,のちのイェール大学の日本研究発展の基礎を築いた。…
※「イェール大学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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