松方三郎(読み)マツカタサブロウ

デジタル大辞泉 「松方三郎」の意味・読み・例文・類語

まつかた‐さぶろう〔‐サブラウ〕【松方三郎】

[1899~1973]登山家。東京の生まれ。正義の一三男。日本山岳会会長・日本山岳協会会長を歴任。昭和45年(1970)隊長として日本人によるエベレスト登頂を成功させた。著「アルプス記」「遠き近き」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「松方三郎」の意味・わかりやすい解説

松方三郎 (まつかたさぶろう)
生没年:1899-1973(明治32-昭和48)

登山家,ジャーナリスト。東京出身。松方正義の十三男で本名義三郎。学習院の中等科,高等科を経て京都帝国大学卒業。ジャーナリストとしては,新聞聯合社同盟通信社,満州国通信社勤務を経て,1949年共同通信社専務理事に就任した。学生時代から登山をはじめ,1921年積雪期の燕岳スキー初登頂,22年槙有恒ら慶大隊と積雪期の槍ヶ岳初登頂などを行い,25年ヨーロッパ留学後はスイス・アルプスで数多くの山に登り,アイガーのヘルンリ稜初登攀を達成。良識をもって登山界をリードし,日本山岳会,日本山岳協会の会長をつとめるかたわら,70年にはエベレスト登山隊隊長もつとめ,日本の登山界の隆盛を築いた功労者である。《アルプス記》(1937),《アルプスと人》《遠き近き》などの著書がある。兄の松方幸次郎同様,美術にも造詣が深かった。
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百科事典マイペディア 「松方三郎」の意味・わかりやすい解説

松方三郎【まつかたさぶろう】

登山家,ジャーナリスト。本名義三郎。松方正義の13男。東京出身,京都帝国大学経済学部卒。学習院中等科在学中頃より登山をはじめ,1925年のヨーロッパ留学後はスイス・アルプスに親しんだ。新聞聯合社,同盟通信社,満州国通信社勤務などを経て,第二次世界大戦後は共同通信社編集局長,専務理事に就任。日本山岳会,日本山岳協会の会長を務め,1970年日本エベレスト登山隊隊長として植村直己らの登頂を成功に導いた。美術にも造詣が深く,1959年にはフランスから兄松方幸次郎コレクション返還を実現(松方コレクション)。著書は《アルプス記》《遠き近き》など多数。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松方三郎」の意味・わかりやすい解説

松方三郎
まつかたさぶろう
(1899―1973)

登山家。明治の元勲松方正義(まさよし)の十三男。学習院の中等科、高等科を経て京都帝国大学卒業。ジャーナリストの道を歩み、共同通信社専務理事を務めた。学生時代から登山を始め、1921年(大正10)厳冬期燕岳(つばくろだけ)スキー初登頂、22年厳冬期槍ヶ岳(やりがたけ)初登頂。25年からスイス・アルプスで数多くの登山を行いアイガーのヘルンリ稜(りょう)初登攀(とうはん)に成功した。良識をもって登山界をリードし、日本の登山界の隆盛を築いた功労者。第5代(1946~48)、第10代(1962~68)日本山岳会会長、68年(昭和43)名誉会員、イギリス山岳会会員。70年エベレスト登山隊隊長として、松浦輝夫(てるお)、植村直己(なおみ)の両隊員による日本隊初の登頂を成功させた。『アルプス記』『アルプスと人』『遠き近き』などの著書や多くの訳書がある。

[徳久球雄]

『『アルプスと人』(1976・築地書館)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松方三郎」の解説

松方三郎 まつかた-さぶろう

1899-1973 大正-昭和時代の登山家,ジャーナリスト。
明治32年8月1日生まれ。松方正義(まさよし)の13男。同盟通信社などの記者をへて,昭和24年共同通信社専務理事となる。日本山岳会会長,日本山岳協会会長。45年日本山岳会のエベレスト登山隊長をつとめる。ボーイスカウト日本連盟総長。昭和48年9月15日死去。74歳。東京出身。京都帝大卒。本名は義三郎。著作に「アルプス記」など。

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