安福寺(読み)あんぷくじ

日本歴史地名大系 「安福寺」の解説

安福寺
あんぷくじ

[現在地名]木津町大字木津 宮ノ裏

心道山と号し、西山浄土宗本尊阿弥陀如来。古くはあわれ堂と称したようで、「山州名跡志」は「哀堂 在大智寺南二町余 土人アハン堂ト云フ 此所古ハ平沙ニシテ堂一宇アリ、今為寺浄土宗守之、寺南向、本尊阿弥陀仏坐像二尺余作不詳、此尊ハ平重衡生害ノ時、引導仏ナリ、堂ヲ云哀堂ハ、於此所重衡卿誅セラルヽ故ニ、時人号之也」と記す。平重衡は「平家物語」巻一一(重衡被斬)に「木津河のはたにて」斬首されたことが描かれるが、当寺には重衡とのかかわりを伝える遺跡・遺物が多い。

安福寺
あんぷくじ

[現在地名]柏原市玉手町

玉手山たまてやま丘陵の西側山腹にあり、山門を入った両側に古墳後期の横穴群がある。また寺地西隣には安福寺の鎮守であった伯太彦はかたひこ神社がある。浄土宗、山号玉手山、本尊阿弥陀如来。真宗東本願寺派の僧先啓が元文三年(一七三八)に著した「大谷遺跡録」は「安福寺ノ敷地ハ、高祖聖人神足弟子真岡慶西法師化益ノ遺跡也、当寺ハ往昔行基菩薩説法利生ノ古跡也」と記し、行基が開基した寺院で、その後荒廃していたのを建長年間(一二四九―五六)領主多田左衛門尉光雲が親鸞の門弟慶西を招き、自らは光雲房信西と号して再興したと伝える。以下同書によると慶西より六代目の法西の時、国の太守安福宗正が法西の徳を慕い、浄財を投じて堂舎を建立した。

安福寺
あんぷくじ

[現在地名]上下町矢野

矢野やの温泉の西南にあり、曹洞宗。竜洞山と号し本尊地蔵菩薩。三原御分指出帳(総領町教育委員会蔵)に「本寺甲奴郡上下村善昌寺」とあり、寺伝によれば天文年中(一五三二―五五)に矢野村内の小石創建、正保三年(一六四六)に現在地に移転したという。境内墓地には延宝四年(一六七六)飢饉の際、困窮した農民窮状を直訴して打首になったと伝える為重仁兵衛とすみざこ庄三郎の墓がある。

安福寺
あんぷくじ

[現在地名]白石町大字堤字嘉瀬川

杵島山南部の東側中腹にある。水堂みつとうさんとよばれる。日輪山と号し、天台宗。本尊は聖観世音菩薩で行基作と伝えられ、高さ一メートルの木像。毎年旧四月一五日寅刻から七月一五日未刻まで寺内で霊水が湧くといわれ、参詣者が多い。

開山の年代は不明だが、宝永年間(一七〇四―一一)に豪清一が再興し、安永九年(一七八〇)の飢饉のときは粥を煮て、数千人の命を救ったといわれる。境内には重盛塔とよばれる石造の宝塔のほか、石仏二一基、えんま王像一基がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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