杵島郡(読み)きしまぐん

日本歴史地名大系 「杵島郡」の解説

杵島郡
きしまぐん

面積:一九六・六一平方キロ
山内町やまうちちよう江北町こうほくまち大町町おおまちちよう北方町きたがたまち白石町しろいしちよう有明町ありあけちよう福富町ふくどみまち

県の南西部にあって、山内町を除く地域は武雄市・藤津郡の東に位置し、北は両子ふたご山・おにはな山を境に多久たく市、東は小城おぎ郡、南の一部は鹿島市に接し、南東部は有明海に面する。山内町は武雄市の西にある飛地で、北・西は伊万里市、西松浦郡、南西の一部は長崎県に接する。郡内は水田地帯が多く、白石平野とよばれている。これは有明海の海退現象と人工による干拓で陸化したためで標高三―五メートルの低地が多い。

肥前風土記杵島郡の項に

<資料は省略されています>

とある。

和名抄」には杵島郡内に「多駄」「杵島」「能伊」「島見」の四郷名がみえる。「延喜式」にある「杵嶋駅」は、現武雄市と北方町の境成瀬なるせ付近であったと推定され、「駅馬五疋」とある。

〔原始〕

大町町の鬼ノ鼻山の南面で、サヌカイトの打製石器・石刃・尖頭器や剥片が発見され、先土器時代の石器の製作場所であると確認された。北方町東宮裾ひがしみやすその弥生時代の甕棺からは全国的にも数少ない巴形銅器・海星形銅器などが出土し、杵島山と北方町の中間の田圃中の丘陵椛島かばしま(約五〇メートル)山麓では黒曜石の石核・石鏃などが採取されており、同山の弥生時代の箱式石棺からは内行花文鏡・素環頭刀子・翡翠の勾玉が出土している。杵島山北東の白石町妻山つまやまの石棺からは弥生時代の素環頭大刀(鉄製)が出土した。

〔古代〕

江北町の両子山の山麓には古墳時代の土元つちもと古墳群があり、大町町には大畑おおはたこもり古墳群がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報