天城村(読み)あまきむら

日本歴史地名大系 「天城村」の解説

天城村
あまきむら

[現在地名]倉敷市藤戸町天城ふじとちようあまき天城台あまきだい一―四丁目

藤戸ふじと村の北に位置し、東は児島湾に面する。東部を金毘羅往来が南北に抜け、藤戸村境のしお(倉敷川)に正保四年(一六四七)渡船に代わって大小の橋が架けられた(「備陽記」など)近世には岡山藩家老天城池田氏の陣屋がおかれ、在町・港町として賑った。天正九年(一五八一)二月一五日の穂田元清書状(萩藩閥閲録)に天城普請が成って元清らが陣替したとあり、同年と推定される一二月一七日の毛利輝元感状(同書)には「天木在番」とあって、宇喜多氏に対する前線の城が築かれていた。星島繻閑の記録(藤戸町誌)によると、尼子氏家臣の天野六左衛門が居城としていたために、天城となったとあり、「備前記」には豊臣秀吉朝鮮出兵の時に陣城としたことから天下の陣所ゆえ天城と称したという。

寛永一六年(一六三九)下津井しもつい城廃城により池田由成が当地に陣屋を移し、御茶屋とよばれる陣屋を中心に町づくりを行った。町の総回りは一里八町二〇間、西は築田きつた橋、南は藤戸橋であった。宝永元年(一七〇四)の天城陣屋絵図(池田家文庫)によると、周囲を潮川に囲まれ、東西に丘陵を抱え、中央部に池田氏の廟所のある桜山、南東角に広田ひろた大明神がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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