プロテスタント
Protestant
16世紀初め,カトリック教会の改革を主張した人びとによって成立した教派。新教徒ともいう
1521年,ドイツ皇帝カール5世はヴォルムス勅令でルター派を圧迫した。のち国際関係が悪化したので,一時皇帝は譲歩したが,情勢が好転すると,再びさきの勅令を復活した(第2回シュパイエル帝国議会)。この際,宗教改革運動を擁護する諸侯が連合して皇帝に抗議(protest)したところから,この名が生まれた。以後,カルヴァン派を含め,改革派(新教)一般にこの名が用いられるようになった。
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デジタル大辞泉
「プロテスタント」の意味・読み・例文・類語
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プロテスタント
〘名〙 (Protestant) プロテスタンティズム諸派に属する信徒。新教徒。また、新教。
※西洋事情(1866‐70)〈福沢諭吉〉二「国内に『プロテスタント』の
宗旨を許し」
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世界大百科事典内のプロテスタントの言及
【キリスト教】より
…広義のキリスト教とは,これらキリスト信者が受けいれている教え,およびこの教えの実践を通じて,またその影響の下に生みだされた道徳,文化,制度などの総体を指す言葉である。こんにち,キリスト教はカトリック教会,プロテスタント諸教派,東方正教会の3グループに大別され,総数約10億のキリスト信者が全世界に拡散,居住している。
【キリスト教のシンボル】
キリスト教がはじめて日本に伝えられてから4世紀半,明治初年,布教の自由が再び認められてから1世紀以上経過したが,キリスト教はいまだに,全般的にいって,外来の異質な宗教という印象を脱していない。…
【宗教改革】より
… 《ドイツ国民のキリスト教貴族に与う》は,ルターが初めてドイツ人としての国民意識に立って,ローマ教皇勢力によるあくどい財政的収奪や,聖職売買,そのほか国民生活を圧迫し正しい信仰をそこなうさまざまな悪弊を列挙し,教会当局者が無能を暴露している現在,統治権力を神にゆだねられた貴族(実際には領邦君主たるドイツ諸侯)に,教会生活全般の改革をたすけるよう呼びかけたものである。そこにはまた,聖職者の独身制や,一般に特権的な身分としての聖職者の否定,つまり,いわゆる〈万人祭司主義allgemeines Priestertum〉の理念が,聖書にもとづいて展開されているが,プロテスタント教会のありかたを深く規定したこの根本理念は,《キリスト者の自由》においても,〈信仰義認論〉をふまえつつ,改めて強くうち出された。ルターにとって〈自由〉とは,律法の前で露呈される罪からの解放,キリストの福音への信仰のみによって神の前に義とされた,キリスト者の霊的・内的な自由のことであり,かかるキリスト者は,肉的・外的存在としては,自由な魂の喜びにあふれて,隣人への奉仕に身をささげる神の僕だと説いたのである。…
【シュパイヤー国会】より
…この決定に対して,ザクセン選帝侯やヘッセン方伯らは抗議書を提出した。それには14の帝国都市も従ったが,この抗議(プロテスト)に立ち上がった者に対してプロテスタントの名称が与えられ,それ以降,それはルター支持者の呼称となった。次いで軍事的にも対抗するために,彼らはシュマルカルデン同盟へと結集していった。…
※「プロテスタント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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