塩田町(読み)しおたまち

日本歴史地名大系 「塩田町」の解説

塩田町
しおたまち

[現在地名]塩田町大字馬場下ばばした字塩田

現在の塩田の中心部で、武雄へ通ずる道路筋に商店街を形成している地域一帯を塩田町とよんでいたと思われる。

塩田の地名は、古く「肥前風土記」や「和名抄」にみえ、塩田駅が設けられ、古くから交通の要衝としてこの地方の中心地であった。平安時代に藤津郡仁和寺荘園となっていたが、塩田に真言宗の古刹常在じようざい寺があるのもそのなごりであろう。

塩田町
しおたちよう

面積:四五・八三平方キロ

藤津郡の西北部に位置し、北は武雄市、南は鹿島市、東は杵島きしま郡有明町、西は嬉野うれしの町に接する。町の中央部を塩田川が蛇行し、西部・南部には低丘陵地が続き、南部には標高四一〇メートルの唐泉とうせん山がある。鹿島・武雄・嬉野に通ずる交通の要衝にあたる。塩田川流域には天草石を利用した陶石の砕石場が多く、西松浦郡有田町・長崎県東彼杵ひがしそのぎ波佐見はさみ町などの製陶地帯に送られている。

明治二二年(一八八九)の町村制施行によって現地域に五町田ごちようだ村・塩田村久間くま村の三ヵ村が成立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報