塩原村(読み)しおばらむら

日本歴史地名大系 「塩原村」の解説

塩原村
しおばらむら

[現在地名]大間々町塩原

浅原あさばら村の西、東南に流れる渡良瀬川の左岸段丘とその東で南流する下田しもだ(塩沢川)の下流域に位置し、西は渡良瀬川を挟んで勢多せた下神梅しもかんばい村。高松たかまつ中村なかむらたきうえしも谷戸かいどなどの集落がある。近世後期、銅山あかがね街道の裏道が北方の勢多郡塩沢しおざわ村から字高松・下ノ谷戸を経て、渡良瀬川を戸沢とさわ渡で越えて二軒在家にけんざいけ村に通じた。

天正一二年(一五八四)北条氏から阿久沢彦二郎に与えられた地に「仁田山之内 しほ原」がある(同年五月二八日「北条家朱印状」阿久沢文書)

塩原村
しおはらむら

[現在地名]東城町塩原

加谷かだに村の東南に位置し、東南は粟田あわた村、南は竹森たけもり村に接する。内堀うつぼり川が西部を南西流し、竹森村境で北西から流れてきた小奴可おぬか川と合流する。集落は内堀川に沿う平地や、当村東の多飯が辻おおいがつじ(一〇四〇メートル)水源として西流する足尾谷あしおだに川・井手之迫いでのさこ川など四筋の谷川沿いに散在する。古く砂鉄採取のための鉄穴流しによって開かれた村と考えられる。村名について「国郡志下調書出帳」は、確証はないがとして「しもの原と言ふ原を開き塩原と唱候由申伝へ、今に近村之者当村へ来り候をもの原へ参る抔申すものも御座候」と記す。

塩原村
しおばるむら

[現在地名]南区塩原一―四丁目・大橋団地おおはしだんち大橋おおはし一―二丁目・同四丁目・筑紫丘ちくしがおか一―二丁目・野間のま一―二丁目・向野むかいの一―二丁目・清水しみず二丁目・同四丁目、博多区竹下たけした一―二丁目

三宅みやけ村の北、那珂なか川左岸にある。東は五十川ごじつかわ村。福岡往還が通っていた。村名の由来は、昔は南西部の潮煮しおに坂の辺りまで潮が入り、塩を焼いていたことによるという(続風土記)。文明一〇年(一四七八)正月一一日の大炊入道祐泉申状(黒水文書/福岡県史資料一〇)によれば、豊前の国人黒水定種は本領の代所として「那珂郡塩原」二〇町を給与されていたが、大内持世に背いたため没収され、同所は吉賀大膳亮に与えられた。小早川時代の指出前之帳では塩原村の田五八町三反余(分米七二三石余)・畠八町三反余(分大豆四一石余)

塩原村
しおはらむら

[現在地名]小松市塩原町

郷谷ごうたに川左岸にあり、北西は布橋ぬのはし村・さわ村。「しおばら」とも発音する。中世は軽海かるみ郷の河内かわちに属した。元亨四年(一三二四)九月一〇日の軽海郷河内新開田数注文(金沢文庫文書)に塩原分として二人の百姓名主がみえ、五平次が一五筆、計九町三段二〇代、孫三郎が七筆、計四町八段五代の田数が記される。嘉暦四年(一三二九)五月日の軽海郷公文大江頼業注進状案(同文書)によれば、塩原は山百姓色々公事銭として、桑代銭一貫一〇〇文・新畠地子五貫二〇〇文・大豆代四貫八〇〇文の負担が定められていた。なお鎌倉末期頃の軽海郷百姓交名注文(同文書)にも、塩原分として「□念坊」以下二〇人の名前がみえ、別の百姓交名注文断簡(同文書)にも塩原分がみえる。

塩原村
しおのはらむら

[現在地名]舘岩村塩ノ原

前沢まえざわ村の北、舘岩川右岸に沿う細長い平坦地にある。東に山を控え、西流するみや沢が当地で舘岩川に合流する。「会津風土記」に「塩原」とある。田畑等分の村で(貞享二年「長江庄郷村地方風俗帳」)、現在も舘岩川流域では水田の多い地域となっている。文化一五年(一八一八)の南山御蔵入領組村高帳では高一八六石余。化政期の家数三九で、東部に熨斗戸組の米を納める米倉があった(新編会津風土記)。当村は同組でもっとも家数が多く、立岩たていわ郷の一中心地として栄えたとみられ、古町ふるまち(現伊南村)との間の馬継ぎも行っていた(前掲風俗帳)

塩原村
しおばらむら

[現在地名]大宮町塩原

久慈川の東岸にあり、西は横瀬よこせ村。「新編常陸国誌」に「中世塩原氏アリ、是地ヨリ出ヅ」とあり、寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「塩原村」とみえる。「水府志料」によると戸数およそ五五。「辰野口村の地より来れる用水あつて、小倉村に流る」とある。

享保一一年(一七二六)の御領内鎮守帳(江原忠昭氏蔵)によると稲荷神社は「大楽院支配 神体幣 社領七斗四升七合」とある。旧村社。

塩原村
しおばるむら

[現在地名]蘇陽町塩原

緑川支流の大矢おおや川上流にあり、明治九年(一八七六)の合併により成立した村名。東は菅尾すげお村、西は上益城かみましき高月こうづき(現清和村)、北は塩出迫しおいでさこ村、南は柳井原やないばる村に接する。近世は北に斗塩としお村、南に黒原くろばる村と並ぶ。文明四年(一四七二)八月二八日の阿蘇山本堂造営棟別料足日記写(阿蘇家文書)に「一いゑ卅 くろはる」とみえ、棟別銭の課せられる棟数が記される。

塩原村
しおばらむら

[現在地名]仁多町郡村こおりむら

高柴たかしば村の東の細長い谷間に位置する。北は郡村。地元では「しょんばら」とよばれる。応永一二年(一四〇五)六月二一日の総光寺明見譲状(総光寺文書)によると、三所みところ総光そうこう寺は塩原の明等が建立し明見に永代寄付したもので、この日明見は住持職と寺領山野・田畠などを見貞に譲っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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