日本大百科全書(ニッポニカ) 「那珂」の意味・わかりやすい解説
那珂
なか
茨城県北部、那珂郡にあった旧町名(那珂町(まち))。現在は那珂市の中央部から南部を占める地域。旧那珂町は1955年(昭和30)菅谷(すがや)町と神崎(かんざき)、額田(ぬかだ)、五台(ごだい)、戸多(とだ)、芳野(よしの)、木崎(きざき)の6村が合併して成立。郡名を町名とした。2005年(平成17)同郡瓜連町(うりづらまち)を編入して市制施行、那珂市となった。旧町域は那珂台地と那珂川、久慈(くじ)川の沿岸低地をもつ。JR水郡(すいぐん)線、国道6号、118号、349号が通じ、常磐(じょうばん)自動車道那珂インターチェンジがある。中世は江戸氏から佐竹氏、近世は水戸藩の支配を経て、明治以後は、那珂郡政の中心をなした。菅谷は棚倉(たなぐら)街道(国道349号)の宿場であった。台地が広くゴボウは主産地、米、ラッカセイ、いも類、野菜類などの栽培が盛ん。スギ苗は杉(すぎ)地区を中心に近世以来の生産地。東海村に隣接し、1985年に日本原子力研究所那珂研究所(現、日本原子力研究開発機構那珂核融合研究所)が開設。県の施設が多く、笠松運動公園、県民の森、植物園(熱帯植物館あり)、きのこ博士館、鳥獣センター、林業技術センターなどが設置されている。水戸市や、ひたちなか市に接し、那珂インターチェンジもあるため、食品、電気機器、機械などの工業も行われ、那珂西部工業団地も造成された。1965年以降、人口も増えている。3年に一度、8月に行われる菅谷の鹿島(かしま)神社大助祭(おおすけまつり)(提灯(ちょうちん)祭)は有名。上宮寺(じょうぐうじ)の聖徳太子絵伝(えでん)は国指定重要文化財。鈴木家住宅など県指定文化財も多い。
[櫻井明俊]
『『那珂郡那珂町史』(1956・那珂町)』