善福院(読み)ぜんぷくいん

日本歴史地名大系 「善福院」の解説

善福院
ぜんぷくいん

[現在地名]下津町梅田

丘陵の中腹に位置。宝遊山と号し、天台宗本尊釈迦如来。古くは釈迦堂とよばれた宝遊山広福禅こうふくぜん寺という大寺院の子院の一つであった。現在は釈迦堂を含めて善福院と称する。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔広福禅寺〕

広福禅寺について加茂組寺社書上(下津町史)には建保三年(一二一五)栄西開基とあるが、「続風土記」は同二年とする。なお嘉禎三年(一二三七)年号があるが、江戸時代の成立と思われる善福院由緒(下津町史)は、栄西について記した後に「紀伊国海士郡加茂庄梅田村に於て、飛騨の工ミに仰せて七堂伽藍を建立なさしめ、これを号けて宝遊山広福禅寺と称す。(建治)三乙亥年、洛陽建仁寺の山内の長真と申僧、同邑に於て梅田寺を建立し、又候承久元己卯年、栄西僧正御弟子栄海、同邑に於て善福院を建立、文暦元甲午年梅田寺住職長真の弟子長堪、観音院・吉祥院の両堂を建立す」と記している。

善福院
ぜんぷくいん

[現在地名]境町横塚

横塚よこつか東端志鳥しとりに向かう道の北に所在。長井戸ながいど沼を東に望む台地に集会所兼用の本堂がある。医王山善福院法蔵ほうぞう寺と称し、通称善福院。真言宗豊山派。本尊阿弥陀如来。もとは現在地より南にあったと伝える。宝永三年(一七〇六)の指出帳(長野監治文書)によれば香取神社・大日だいにち堂・地蔵堂などを別当として支配。かつては地蔵山法蔵寺と号した。開山は承平元年(九三一)と伝える。境内に高さ三メートルの宝篋印塔一基があり、寛保三年(一七四三)の銘を刻む。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「善福院」の意味・わかりやすい解説

善福院
ぜんぷくいん

和歌山県海南市にある天台宗の寺。もと広福禅寺といい,栄西鎌倉時代初期に創立。寺内の釈迦堂は本尊の釈迦如来の修理銘により嘉暦2 (1327) 年の再建と推定され,国宝。裳階つきの禅宗仏殿で,木割は他の仏殿に比してやや太く,多少系統が異なる感がある。

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デジタル大辞泉プラス 「善福院」の解説

善福院

和歌山県海南市にある天台宗の寺院。山号は宝遊山、本尊は釈迦如来。栄西の創建とされる禅宗寺院が基。国宝の釈迦堂は鎌倉時代の建立。

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