初山滋(読み)ハツヤマシゲル

デジタル大辞泉 「初山滋」の意味・読み・例文・類語

はつやま‐しげる【初山滋】

[1897~1973]童画家・版画家。東京の生まれ。繊細な描線と幻想的なデフォルメによる、詩情あふれる作品を描いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「初山滋」の意味・わかりやすい解説

初山滋
はつやましげる
(1897―1973)

童画家、版画家。本名繁蔵(しげぞう)。東京浅草の職人の家に生まれ、学歴は私立田島小学校卒業のみ。10歳で狩野探令(かのうたんれい)、青年期に井川洗厓(せんがい)に風俗画を学び、大正期の童心主義文化運動の波の高まりのなかで雑誌『おとぎの世界』の挿絵を描き、童画家としての地位確立。繊細で流麗な線描と幻想的なデフォルメで、比類のない童画世界を築いた。昭和期に入ってからは木版画にも独自の作品を創作、また古倫不子(ころんぶす)の戯名による詩作もある。創作絵本に『たべるトンちゃん』(1937)、『もず』(1967)などがある。

上笙一郎

『『初山滋作品集』(1973・講談社)』『『初山滋の世界――四季のメルヘン』(1980・講談社)』『『初山滋版画集』(1976・講談社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「初山滋」の意味・わかりやすい解説

初山滋
はつやましげる

[生]1897.7.10. 東京
[没]1973.2.12. 東京
絵本作家,挿絵画家。本名初山繁蔵。 10歳で狩野探令にやまと絵を学び,11歳のとき着物地の模様画工として徒弟奉公をし,画業への志をもつ。 23歳で雑誌『おとぎの世界』の表紙を描く。流麗な線と色による様式化された画風で知られ,多くの絵雑誌,児童文学書,教科書などの挿絵を描き,また版画で日本古来の風俗や遊びを表現した。『ききみみずきん』 (1956) などの民話の絵本化も手がけ,『もず』 (67) で国際アンデルセン賞国内賞を受賞した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「初山滋」の解説

初山滋 はつやま-しげる

1897-1973 大正-昭和時代の童画家,版画家。
明治30年7月10日生まれ。着物の染色下絵に従事し,井川洗厓(せんがい)に弟子入り。大正5年「少年倶楽部(クラブ)」にはじめて口絵をかき,「おとぎの世界」の挿絵でみとめられる。武井武雄らと童画の分野を開拓した。装丁,絵本,木版画でも活躍。昭和48年2月12日死去。75歳。東京出身。本名は繁蔵。創作絵本に「たべるトンちゃん」「もず」など。

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世界大百科事典(旧版)内の初山滋の言及

【絵本】より

… ついで大正中期に模範家庭文庫を出した冨山房で,楠山正雄の《画(え)とお話の本》3冊(1925‐26)を出したが,その画家たちは,大正中期に輩出した絵雑誌のプールに負っている。1914年に《子供之友》,21年に《コドモノクニ》,23年に《コドモアサヒ》が出て,岡本帰一,清水良雄,武井武雄,川上四郎,初山滋,村山知義,本田庄太郎たちがそれらによって活躍した。武井武雄は,彼と彼の影響に立つ画家たちの様式性の強い画風を立てて,24年に童画と呼ぶに至り,27年に日本童画家協会を設立,対立的に新ニッポン童画会もできたが,両会とも写実をもたない安易な類型に陥ったにすぎなかった。…

※「初山滋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」