佐田神社(読み)さだじんじや

日本歴史地名大系 「佐田神社」の解説

佐田神社
さだじんじや

[現在地名]庄原市高町 植松

西城さいじよう川東岸の佐田山に鎮座祭神大国主命・猿田彦尊。旧村社。「芸藩通志」に「出雲秋(鹿)郡佐田社より勧請す、天正己卯山内隆(通)重修す、今の社は享保庚戌造る所にして出雲本所の社を模すといふ末社二宇あり」とある。出雲佐太さだ(現島根県八束郡鹿島町)は佐太川のほとりに鎮座する古くからの大社であるが、この地に勧請された経緯は不明。当地は戦国時代には山内氏の支配下に入り、山内隆通は当社を保護し天正七年(一五七九)には社殿を重修した(芸藩通志)

佐田神社
さだじんじや

[現在地名]阿南市椿泊町

たちばな湾を取囲む南の岬の先端、ひうち崎に至る道の山側に鎮座する。主祭神は猿田彦命・海津見命・佐田九郎兵衛。「阿波志」によると、当社は土佐泊とさどまり(現鳴門市)を拠点にしていた森氏が椿泊つばきどまりに移り先祖を祀ったという。森氏は佐田九郎兵衛の後裔といわれる。同氏は蜂須賀氏入部後は阿波水軍として活躍、阿波南部の押えとして椿泊に本拠を移し、代々森甚五兵衛を名乗った。椿泊に移る際、土佐泊から当社を遷宮したという。現在の社殿は寛永九年(一六三二)上棟、領主森甚五兵衛村純が奉納したもの。特殊神事として神輿海中船渡御がある。長期間にわたって行われることで知られ、ダラダラ祭とよばれる。

佐田神社
さだじんじや

[現在地名]安心院町佐田

佐田の中央、字みやだいの小丘上にある。武内宿禰・素盞男尊・大山祇命などを祀り、旧郷社。古くは善神王ぜじんのう社ともよばれ、佐田庄の総鎮守社であった。現神殿は元治元年(一八六四)改築境内社として巨島神社を祀る。かつて境内に散在していた板碑・角塔婆合せて四基が現在一ヵ所に集められている。うち元弘三年(一三三三)八月二三日の年紀のある角塔婆は総高一・〇五メートル、四面に種子を薬研彫にしている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

自動車税・軽自動車税

自動車税は自動車(軽自動車税の対象となる軽自動車等および固定資産税の対象となる大型特殊自動車を除く)の所有者に対し都道府県が課する税であり、軽自動車税は軽自動車等(原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自...

自動車税・軽自動車税の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android