宇佐郡(読み)うさぐん

日本歴史地名大系 「宇佐郡」の解説

宇佐郡
うさぐん

面積:二六〇・七九平方キロ
安心院あじむ町・院内いんない

県の北部に位置する。昭和四二年(一九六七)郡北部に宇佐市が成立したため現在は安心院町(東半)と院内町(西半)の二町で構成され、北は宇佐市、西は下毛郡、南は玖珠くす郡・大分郡、東は速見郡、南東で一部別府市に接するが、宇佐市が成立する以前は北は周防灘に面していた。以下の記述は宇佐市成立以前の旧宇佐郡域を対象とする。旧宇佐郡は豊前国の東端にあたり、東は豊後国国東くにさき郡・速見郡、南は速見郡および同国玖珠郡、西は豊前国下毛郡に接していた。周防灘に面する郡の北端から南へ行くに従って平野・台地・丘陵・山地と高度を上げ、南端の玖珠郡・速見郡との境には立石たていし山など標高八〇〇―一〇〇〇メートル級の山々が連なる。このため河川はおおむね北流する。郡内を流れるおもな河川は西から伊呂波いろは川・駅館やつかん川・寄藻よりも川などで、現在の院内町は駅館川支流恵良えら川、安心院町は同じく駅館川支流津房つぶさ川の流域を町域としている。

〔原始〕

当郡の遺跡は、駅館川の水系を中心にしながらも、海に面した宇佐市の宇佐平野、山間の安心院町の安心院盆地と院内町の院内谷というように、それぞれ異なる環境のなかに分布している。したがって、そこに成立した文化には共通性とともに独自性が存在するはずであるが、三地域における遺跡の在り方には、河川の規模と平野の広さを反映して明瞭な地域格差が認められる。旧石器時代遺跡は発掘調査例はないが、宇佐市の本丸ほんまる遺跡・小倉池おぐらのいけ遺跡・山本開拓やまもとかいたく遺跡など洪積台地や丘陵部に多い。一方、縄文時代の遺跡は宇佐市の別府びゆう遺跡(早期)尾畑おばたけ遺跡(後期)、安心院町飯田二反田はんだにたんだ遺跡(後期)、院内町香下こうした遺跡(晩期)など河川に面した自然堤防などの微高地に多い。ところが、弥生時代以降になると宇佐平野の主要遺跡は、大きな河川と古代に官道となったルート(ほぼ現在の国道一〇号にあたる)が交差する一帯に集中する。このルートが伊呂波川と交差する付近には、弥生時代の環濠集落である横山よこやま遺跡、古墳時代中期の墳墓群である糸口いとぐち遺跡、六世紀の久々姥くうば一号・二号古墳(以上宇佐市)、奈良時代の掘立柱建物群と和同開珎が出土した尾畑遺跡などがあり、駅館川と交差する付近には弥生時代後期の拠点集落である別府遺跡を中心に銅鐸・銅矛・鏡などの青銅器が出土する遺跡が集中している。そして寄藻川と交差する付近には宇佐神宮が鎮座している。

古墳時代の首長墓である前方後円墳が駅館川右岸の宇佐市川部かわべ高森たかもり地区に集中していることも当地方の特質の一つとなっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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