五覇(読み)ごは

精選版 日本国語大辞典 「五覇」の意味・読み・例文・類語

ご‐は【五覇】

〘名〙 (五人覇者。「覇」は、旗がしらの意)
中国上代の五人の覇者。夏伯昆吾、商伯大彭、商伯豕韋(いし)、周伯斉桓公、周伯晉文公五伯。〔白虎通‐号〕
② 中国、春秋時代の五人の覇者。だれをその五人とするかについてはいろいろ説がある。斉の桓公、晉の文公、秦の穆(ぼく)公、宋の襄公、楚の荘王。また、楚の荘王のかわりに呉の夫差。あるいは、斉の桓公、晉の文公、楚の荘王、呉の闔閭(こうりょ)、越の勾践。また、越の勾践のかわりに秦の穆公春秋五覇。〔孟子‐告子下〕

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デジタル大辞泉 「五覇」の意味・読み・例文・類語

ご‐は【五覇】

中国、春秋時代の五人の覇者。「孟子」では斉の桓公・晋の文公・秦の穆公ぼくこう・宋の襄公・楚の荘王をあげる。「荀子」では穆公・襄公のかわりに呉王闔閭こうりょ・越王勾践こうせんをあげる。五伯。

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改訂新版 世界大百科事典 「五覇」の意味・わかりやすい解説

五覇 (ごは)
Wǔ bà

中国,春秋時代の5人の覇者。5人のうち,斉の桓公と晋の文公を除いた他の3人については,たとえば楚の荘王,呉王の闔閭(こうりよ),越王の句践こうせん)とする説,秦の穆公(ぼくこう),楚の荘王,呉王の闔閭とする説,秦の穆公,宋の襄公,楚の荘王とする説などがあって,必ずしも一定していない。ただ5人という数は,のちの戦国時代の五行説にもとづいてつくられたものであり,実際には5人に限定する必要はない。斉の桓公や晋の文公ら春秋前半期の覇者をみると,彼らは諸侯を連合してその盟主となり,勢力の衰えた東周王朝をたすけて蛮夷の侵入を退け,周の封建制度の秩序維持にあたった。このような尊王攘夷を旗じるしとした覇者の性格は,前7世紀の末に南方蛮族とみなされていた楚が覇権を握るにいたって変化した。このころになると周の権威は無視され,覇者は武力で他国を制するものとなり,会盟はその武力支配を合法化する手段と化し,やがて戦国の激烈な抗争期に突入していく。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五覇」の意味・わかりやすい解説

五覇
ごは
Wu-ba; Wu-pa

中国の春秋時代列国の指導者になった諸侯。この時代諸侯たちは権力のなくなった周王を表面上尊重しながらも,互いに盟約を結んで有力諸侯を盟主として,その指導下に政治的あるいは軍事的に団結した。その盟主の最も有力な者を覇者と呼んだが,五覇はその代表的盟主の総称。五は陰陽五行説からきており,斉の桓公,晋の文公,楚の荘王,呉の闔閭 (こうりょ) ,越の勾践 (こうせん) の5人とされる。呉,越の代りに宋の襄公,秦の穆公を入れる説もあり,一定していないが,それは五覇という考えが戦国時代になってつくられたからである。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「五覇」の解説

五覇(ごは)

春秋時代に諸侯覇者となった5人の代表的有力諸侯をいう。ふつう晋の文公,斉の桓公(かんこう),楚(そ)の荘王(そうおう),呉王闔閭(こうりょ),越(えつ)王勾践(こうせん)をいう。呉,越を除いて宋の襄公(じょうこう),秦の穆公(ぼくこう)をあげることもある。

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普及版 字通 「五覇」の読み・字形・画数・意味

【五覇】ごは

春秋期の五人の覇者。斉の桓公・晋の文公・楚の荘公・秦の穆公・宋の襄公。後の二者に代えて呉王夫差・越王勾践を加える説がある。〔孟子、告子下〕五は三王の罪人なり。

字通「五」の項目を見る

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「五覇」の意味・わかりやすい解説

五覇
ごは

春秋五覇

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旺文社世界史事典 三訂版 「五覇」の解説

五覇
ごは

春秋の五覇

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