襄公(読み)ジョウコウ

デジタル大辞泉 「襄公」の意味・読み・例文・類語

じょう‐こう〔ジヤウ‐〕【襄公】

[?~637]中国春秋時代の王。→宋襄そうじょうじん

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精選版 日本国語大辞典 「襄公」の意味・読み・例文・類語

じょう‐こう ジャウ‥【襄公】

[一] 中国、周代の秦の君。諡(おくりな)は襄。前七七一年西戎、犬戎侵略幽王が殺されたとき、防戦して周を救った功で初めて諸侯となった。
[二] 中国、春秋時代の斉の君。名は諸児。諡は襄。かつての宿敵紀を討って九世の仇を復し、春秋に名をとどろかせた。子の無知に殺された。
[三] 中国、春秋時代の宋の君。名は茲父(じふ)。諡は襄。斉の桓公の後を受けて諸公の盟主となり覇を楚と争い、泓(おう)に戦ったとき、相手につまらない情をかけ、かえって傷を受けて死んだ。後世これをそしって「宋襄之仁」という。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「襄公」の解説

襄公(じょうこう)

?~前637(在位前651~前637)

春秋諸国の襄公のうち,孟子(もうし)が春秋の五覇の一人にあげる宋の襄公が知られる。即位直後に桓公(かんこう)の葵丘(ききゅう)の盟に参加し,桓公の没後,鹿上(ろくじょう)で斉・楚(そ)との会盟を主宰する。丞相(じょうしょう)の目夷(もくい)から小国が覇を争うことを諫(いさ)められたが,盂(う)で会盟を行った。不満を持つ大国楚との戦いで,敵の陣が整うのを待って敗北し,負傷した後に亡くなる。宋襄の仁とは,状況を考えずに情けをかけることをいう。

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旺文社世界史事典 三訂版 「襄公」の解説

襄公
じょうこう

?〜前637
春秋時代の宋の君主(在位前651〜前637)
斉の桓公の死後覇者となろうと志したが,前638年楚に敗れた。この戦いで仁義にこだわり大敗を喫したことを,後世「宋襄の仁」と誹 (そし) られた。

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世界大百科事典(旧版)内の襄公の言及

【秦】より

…ただ周以前の秦一族の来源については,その祖先が西方異民族であったとする説と,最初は山東省付近にいてやがて西へと移住していったという説の2説がある。前770に周の平王が,周室を助けたという功績により,秦の襄公(前777‐前766)に岐山以西の土地を与えて封建したことでもって周王朝下の諸侯の一員となる。文公(前765‐前716)のときには,汧水(けんすい)と渭水が合流する付近に都を置いたが,勢力の拡大とともに春秋時代には平陽(陝西省岐山県南西),雍(よう)(陝西省鳳翔県南)に置かれた。…

※「襄公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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