中原町(読み)なかばらちよう

日本歴史地名大系 「中原町」の解説

中原町
なかばらちよう

[現在地名]松江市中原町

四十間しじつけん堀に京橋きようばし川が合流する地点から南側西岸に位置し、対岸末次すえつぐ町、北と西は外中原町、南は宍道湖に臨む。堀沿いを小片原こかたはら町、宍道湖沿いを土手どて町、その北側を百姓ひやくしよう町といい(明治一二年「松江市街之図」松江市誌)、「雲陽大数録」に中原町・土手町・百姓町町名がみえる。現在の中原町南には宍道湖を埋立てて造成された千鳥ちどり町があり、松江温泉街が広がる。堀尾時代城下図によると、北西部に長屋風の家並がみられるが、残りは田であった。この家並は文久頃雲藩士族屋敷之図(雲藩職制)百姓町として出ており、堀尾時代も百姓家であった可能性がある。

中原町
なかばるちよう

面積:一八・九六平方キロ(境界未定あり)

三養基郡の北西部に位置し、東は鳥栖とす市、南は北茂安きたしげやす町・上峰村、西は上峰村・神埼郡東脊振ひがしせふり村、北は福岡県筑紫ちくし那珂川なかがわ町に接する。北部は石谷いしだに(七五四メートル)を最高とする山地、その構造谷を綾部あやべ川(寒水しようず川の上流)が南南東に流れて渓口に扇状地を形成する。

中原町
なかはらまち

[現在地名]川越市中原町

松郷まつごうの地に成立した下級武士屋敷町。大工だいく町の南に続く南北の通り。「川越索麪」によれば、松平伊豆守時代に天草の乱で捕らえられたキリシタンの置かれた切支丹屋敷とよばれた所があった。町の長さ八七間、両側屋敷一一軒。五十間長屋とよばれる中小姓・無足人の長屋があったが、享保三年(一七一八)火災でその南方に建替えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報