鳥栖(読み)トス

デジタル大辞泉 「鳥栖」の意味・読み・例文・類語

とす【鳥栖】

佐賀県東部の市。JR鹿児島本線長崎本線との分岐点古来陸路要所田代太田古墳安永田遺跡がある。人口6.9万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「鳥栖」の意味・読み・例文・類語

とす【鳥栖】

(応神天皇のころ鳥を集めて飼い慣らすための建物がこの地に建てられ、のち鳥樔と呼ばれたことに因(ちな)むという) 佐賀県北東部の地名。古来陸路の要所であり、鹿児島本線・長崎本線の分岐点として発達。昭和二九年(一九五四市制

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改訂新版 世界大百科事典 「鳥栖」の意味・わかりやすい解説

鳥栖[市] (とす)

佐賀県北東部の市。1954年市制。人口6万9074(2010)。北西部は九千部(くせんぶ)山(847m)などの脊振山地が占め,南東部は筑紫平野の一角をなす筑後川の沖積地である。《肥前国風土記》に鳥樔郷とあり,雑鳥を飼いならして朝廷に献じたことによる地名という。江戸時代には宗氏の対馬藩領と鍋島氏の佐賀藩領に分かれ,長崎街道の田代宿は前者,轟木(とどろき)宿は後者に属し,ともに繁栄した。江戸中期以後,田代では朝鮮からの原料をもとに製薬業が興り,田代売薬として知られ,1847年(弘化4)には久光製薬が創業した。89年鹿児島本線の博多~久留米間,91年長崎本線鳥栖~佐賀間が開通してその分岐点となり,大機関区や操車場が設けられ,以後,九州における鉄道の要衝として発展した。久大本線の列車始発駅,九州自動車道と長崎・大分自動車道の交差する鳥栖ジャンクションの所在地でもある。

 第2次大戦前から製糸製粉などの工場もあったが,戦後すぐ自転車工場や専売公社の工場も立地,1960年代からは轟木工業団地や鳥栖商工団地が造成されて食料品,輸送機器,化学,家具などの企業も進出している。また流通基地として脚光を浴びた。1984年久留米・鳥栖テクノポリスの指定をうけたが,福岡県の福岡・久留米両市の衛星都市的性格も濃い。鳥栖北部丘陵新都市開発整備事業が進められている。2011年九州新幹線の新鳥栖駅が開業した。

 田代地区周辺には弥生時代以降の遺跡が分布し,弥生期の集落墳墓などの大規模な遺跡で知られる安永田遺跡(史),さらに古墳時代後期の装飾古墳である田代太田古墳(史)などがある。
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普及版 字通 「鳥栖」の読み・字形・画数・意味

【鳥栖】ちようせい

鳥のねぐら。

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世界大百科事典(旧版)内の鳥栖の言及

【佐賀[県]】より

… ほかには1970年代以降造船業などを基幹業種とした伊万里湾臨海工業開発や,食品関係ほか道路輸送型業種を主とした県東部内陸工業地域の開発がとくに目立っている。県東部の鳥栖(とす)市は,明治中期以降鹿児島本線と長崎本線の分岐点となり,さらに昭和初めに開通した久大本線の始発駅となるなど鉄道の町として知られ,福岡市とのつながりが強いが,近来は国道3号線と34号線以外に,九州縦貫と九州横断の両自動車道が交差する地域として注目されている。鳥栖市の轟木(とどろき)工業団地や鳥栖商工団地などのほか,近くの上峰,三田川(みたがわ),東脊振の3町村にまたがる佐賀東部中核工業団地などは工業公園を目ざして造成が進められ,企業が進出している。…

※「鳥栖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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