天草(読み)アマクサ

デジタル大辞泉 「天草」の意味・読み・例文・類語

あまくさ【天草】

熊本県西部、天草上島あまくさかみじま下島しもじまの大半を占める市。天草学林跡などキリシタンの遺跡が多い。水産加工が盛ん。平成18年(2006)3月に本渡ほんど市・牛深市・有明町・御所浦町・倉岳町・栖本すもと町・新和町・五和町・天草町・河浦町が合併して成立。人口8.9万(2010)。
天草諸島」の略。

てん‐ぐさ【天草】

テングサ科の紅藻。干潮線以下の岩に生える。10~15センチの平たい線状で、堅く、細かく羽状に分枝し、暗紅色。古くからところてん寒天の材料にされる。寒天の材料になるテングサ科の紅藻にはヒラクサオニクサなどもある。まくさ。ところてんぐさ。かんてんぐさ。 夏》「見るうちに―を乾し拡げたり/虚子

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精選版 日本国語大辞典 「天草」の意味・読み・例文・類語

てん‐ぐさ【天草】

〘名〙 紅藻類テングサ科の海藻。三陸沿岸から奄美大島までの干潮線下一~二〇メートルの海底に生える。高さ一〇~二五センチメートル。葉状体は全体に暗紅色で三~四回不規則な羽状に分岐し、小枝は幅〇・二~〇・五ミリメートルの扁平な線形または糸状。四分胞子嚢(ほうしのう)は小枝の頂端につき、嚢果は小枝の中央に生じる。寒天・ところてんの原料。通常は、寒天の原料となる同属の植物を総称し、オニクサ、オオブサ、ヒラクサ、キヌクサなどをも含めてテングサと呼ぶ。まくさ。ところてんぐさ。かんてんぐさ。こるもは。こころぶと。《季・夏》

あまくさ【天草】

熊本県南西部の天草諸島からなる郡。また、天草諸島の通称。天草島。

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改訂新版 世界大百科事典 「天草」の意味・わかりやすい解説

天草[市] (あまくさ)

熊本県西部,天草諸島にある市。2006年3月牛深(うしぶか)市,本渡(ほんど)市と旧天草,有明(ありあけ),五和(いつわ),河浦(かわうら),倉岳(くらたけ),御所浦(ごしようら),新和(しんわ),栖本(すもと)の8町が合体して成立した。人口8万9065(2010)。

天草市西端,天草下島西部を占める旧町。旧天草郡所属。人口4233(2005)。西は天草灘に面し,農業は米作と畜産の複合経営が行われ,軍ヶ浦(いくさがうら)は近海漁業の基地である。地場産業の中心をなす高浜の天草陶石は,陶磁器原料として有田や瀬戸方面に出荷される。海岸線は断崖が続き,雲仙天草国立公園の一部で,妙見浦(天・名)のほか十三仏,海中公園の大ヶ瀬など見どころが多く,下田は天草随一の温泉地として有名。南部の大江には大江天主堂があり,隠れキリシタンの里として知られる。

天草市北東部の旧町。天草上島北部に位置する。旧天草郡所属。人口6057(2005)。温暖な気候に恵まれ,耕地も島内では比較的多く,アマナツを主とするかんきつ類の栽培が盛んで,ほかにキュウリやタバコの栽培が行われる。北部は有明海に面し,大浦,赤崎のタイ網漁は有名で,タイ,ハマチ,クルマエビの養殖が盛ん。南西部の大島子(おおしまご),小島子一帯は島原の乱の際の殉教戦発端の地である。町内にはキリシタン遺跡が多い。

天草市北端の旧町。天草下島北東部を占める。旧天草郡所属。1955年二江(ふたえ)町と御領,鬼池,手野,城河原の4村が合体,改称。人口9932(2005)。緩傾斜の丘陵,山麓地が広がり,内野川,鬼池川,貝津川などの河口部や流域に集落が形成されている。北東部の鬼池港は長崎県島原半島と相対しており,口之津港との間にフェリーが通じ古くから天草の北の玄関であった。農業はミカン,ビワ,米,タバコ,畜産を主とする。漁業はタイ,ウニなどの産地として知られる。地場産業として造船業,石材加工業がある。二江の沖ノ原貝塚は縄文・弥生時代の遺跡として知られ,対岸の通詞(つうじ)島や東部の御領には数基の古墳が残っている。鬼ノ城キリシタン墓碑公園がある。二江の通詞島沖にはイルカウォッチングで多くの人が訪れる。天草空港がある。
執筆者:

天草市南西端,天草下島の南端にある旧市で,リアス海岸の良港をもつ県下一の水産都市。1954年牛深町と深海(ふかみ),魚貫(おにき),久玉,二浦の4村が合体,市制。人口1万6609(2005)。天附(あまつけ)の縄文・弥生遺跡は早くから人が住みついたことを物語る。中世天草五人衆の一人久玉氏が久玉城(海城)を構築,その後南蛮貿易,海運業の隆盛に伴い,長崎,薩摩,琉球への中継寄港地として牛深港が栄えた。江戸時代の初め牛深,後には久玉も天草定浦(じよううら)の一つとなって漁業がおこり,初めはカツオ漁,明治後期以降はイワシ漁で知られた。第2次大戦後は近海のアジ,サバ,イワシ漁,沿岸のハマチ,タイなどの養殖のほか,真珠養殖煮干しなどの水産加工も盛んである。背後の丘陵地ではミカンが栽培される。明治の初めから良質の無煙炭を産した魚貫などの炭坑は1973年にすべて閉山した。沿岸一帯は雲仙天草公園に含まれ,竜仙島(片島)(天・名),六郎次山(名)などの景勝地のほか,牛深海中公園がある。
執筆者:

天草市南西部の旧町。天草下島中央部を占める。旧天草郡所属。人口5836(2005)。東部は八代海,南西部は羊角湾に面する。北部から西部にかけては低山性の山地で,中央部を一町田川が南流し羊角湾に注ぐ。一町田川河口一帯は戦国時代河内(こうち)浦と呼ばれ,小西氏の配下で,キリシタンを保護した天草氏が支配していた。1592年(文禄1)にはコレジヨ(天草学林)が開かれ,日本最初の活版による印刷本(天草本)が出版された。町域南西部にある崎津天主堂は1569年(永禄12)に建てられ,その後の厳しい禁圧にもかかわらず隠れキリシタンの天主堂として長く存続した。1934年に建てられた天主堂の重厚なゴシック建築は天草を代表する風景の一つとなっている。一町田川流域や河口部の干拓地では水稲や野菜類,山間部の緩傾斜地ではかんきつ類の栽培が行われ,羊角湾では真珠養殖が盛んである。

天草市東端の旧町。天草上島南部を占める。旧天草郡所属。人口3493(2005)。南部は八代海に面し,三方を山に囲まれた急傾斜地帯である。農業が基幹産業で,レタス,オクラなどの野菜やかんきつ類の栽培と水稲,畜産を組み合わせた複合経営が行われる。水産業はハマチ,タイ,真珠などの養殖業が盛んである。西部にある倉岳(682m)は雲仙天草国立公園の一部で,山頂には倉岳神社がある。付近は阿蘇や九州連山,雲仙までも望める景勝地で,九州自然歩道観海アルプスコースの主要経過地となっている。タイ釣りが盛んで,6月から9月のシーズンには九州一円からの釣客でにぎわう。

天草市南東端の旧町。天草上島の南方,八代海に浮かぶ御所浦島,牧島,横浦島の3有人島と,大小14の無人島からなる。旧天草郡所属。人口3615(2005)。産業の中心は漁業で,本郷,大浦,元浦,嵐口(あらくち)の漁港があり,はえなわ漁,一本釣りなどによる沿岸漁業が行われるが,近年栽培漁業への転換が図られ,タイ,フグなどの養殖が盛んである。農業はアマナツの栽培が中心。1983年12月には天草本島と横浦島,前島,御所浦島,牧島を結ぶ御所浦架橋構想の一部である中瀬戸橋(御所浦島~牧島)が着工され,86年11月に完成した。

天草市中央南寄りの旧町。天草下島東部を占める。旧天草郡所属。人口3960(2005)。東は八代海に面し,北は本渡市に接する。町域の大部分は丘陵性山地であるが,流合川,大宮地川流域に低地が広がり,天草有数の早場米地帯をなす。役場所在地の小宮地は,鎌倉時代菊池氏の一族宮地氏が小宮地城を築き,同地方を約200年にわたり統治した地である。農業と漁業が産業の中心で,農業は米作のほか,ミカンとメロンの栽培,畜産などが盛んである。沿岸は好漁場に恵まれ,タイ,スズキなどの水揚げが多いが,近年は養殖漁業への転換が図られている。雲仙天草国立公園に含まれる景勝地竜洞山一帯には農業と観光を結びつけた自然休養施設〈緑の村〉がある。中田港より鹿児島県諸浦(出水郡長島町)へフェリーが通う。

天草市東部の旧町。天草上島南西部を占める。旧天草郡所属。人口2794(2005)。南は八代海に面し,三方を山地に囲まれ,中央部を流れる栖本川沿いに沖積平野が開ける。産業の中心である農業は,水稲,かんきつ類,タバコなどの栽培を主とする。漁業は船引網漁が主力で,イワシ,タイなどの水揚げが多い。戦国時代,天草五人衆の一人に数えられた栖本氏が栖本城を築いて一帯を領有した。栖本城跡,江戸時代初期に置かれた栖本郡代所跡,修験道ゆかりの小ヶ倉観音,沖の瀬古墳など多くの史跡がある。九州自然歩道の観海アルプスコースが,西隣の本渡市から町内を横断して,倉岳(682m)へと通じている。倉岳一帯は雲仙天草国立公園に含まれる。
執筆者:

天草市中央部,天草諸島の中央に位置する旧市。1954年市制。人口3万9944(2005)。古くは本戸,本砥と書いた。市域は本渡瀬戸をはさんで天草上島と天草下島にまたがり,天草瀬戸大橋が両島を結ぶ。市街地は下島の町山口川河口に発達している。古墳時代後期に亀川尻に妻ノ鼻古墳群などの古墳が築かれた。鎌倉時代に天草氏が本戸の地頭に任じられてこの地に本拠を構えてから発展し,戦国時代はキリシタン布教の一中心でもあった。1637年(寛永14)の島原の乱では町山口川をはさんで信徒と幕府軍の激戦が行われ,乱後,天草は天領となった。1873年には郡役所が下島北部の富岡(現,苓北町)から本渡に移り,以後,天草の政治・文化の中心として発展している。国道266号,324号線が通じ,島内各地や熊本市に至るバス網が放射状に発達,本渡港からは水俣へのフェリーが通う。市街地背後の丘陵地ではミカンなどの果樹栽培や畑作が行われる。本戸城跡の殉教公園にはキリシタン館,キリシタン墓地,島原の乱の千人塚がある。江戸時代からの水の平焼や天草更紗(さらさ)が伝わる。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天草」の意味・わかりやすい解説

天草
あまくさ

熊本県南西部、天草郡にあった旧町名(天草町)。現在は、天草市の中部西寄りを占める地区。旧天草町は1956年(昭和31)天草下島(しもしま)の福連木(ふくれぎ)、下田(しもだ)、高浜、大江の4村が合併して町制施行。2006年(平成18)本渡(ほんど)市、牛深(うしぶか)市、有明(ありあけ)町、御所浦(ごしょうら)町、倉岳(くらたけ)町、栖本(すもと)町、新和(しんわ)町、五和(いつわ)町、河浦(かわうら)町と合併し、天草市となった。天草の名は郡名に由来する。旧町域は天草下島の中西部を占め、全域、堆積(たいせき)岩(古生代、中生代、新生代の3種)からなる低山性の山地で、天草灘(なだ)に臨む西海岸は、雲仙天草国立公園(うんぜんあまくさこくりつこうえん)に属し、断崖(だんがい)、奇岩が続く。かつては、特産の陶石(高浜、下田)、坑木、木炭(福連木)などの販路の関係から長崎、佐賀両県との結び付きが強かったが、現在では本渡、牛深両地区と関係が深い。かつての木炭・坑木生産、ブリ・シイラ漁はともに衰え、ハマチ・真珠養殖に活路をみいだしている。

 国道389号、下島横断道路など道路が整備されて、下田温泉、風光明媚な妙見浦(みょうけんうら)(国の名勝・天然記念物)、天草海域公園、上田家住宅(江戸時代の民家)、大江天主堂、隠れキリシタン史跡など、景勝地や文化財があり、観光産業への依存も強まりつつある。

[山口守人]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天草」の意味・わかりやすい解説

天草
あまくさ

熊本県南西部,天草市北西部の旧町域。天草諸島下島西岸にある。1956年高浜村,福連木村,下田村,大江村の 4村が合体して町制施行。2006年本渡市,牛深市,有明町,御所浦町,倉岳町,栖本町,新和町,五和町,河浦町の 2市 7町と合体して天草市となる。主産業は農漁業。米作,野菜やミカンの栽培も行なわれる。天草灘に面する西海岸は断崖の続く岩石海岸で,妙見浦には荒波の浸食を受けた奇岩や海食洞があり,国の名勝・天然記念物に指定。南部の軍ヶ浦は天然の良港で,漁業基地として有名。北部には下田温泉がある。中心地区の高浜一帯で産出される天草陶石は有田や伊万里のほか,中京,北九州方面にも移出される。南部の大江隠れキリシタンの地で,フランス人宣教師ルドビゴ・ガルニエが 1933年に建てた大江天主堂がある。海岸の大部分は雲仙天草国立公園に,一部の海域は天草海域公園地区に属する。

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デジタル大辞泉プラス 「天草」の解説

天草〔果物〕

長崎県、大分県などで生産される柑橘類。大きさは200g程度で、果皮は薄く、赤っぽいオレンジ色。果肉はやわらかくジューシーで香りがよく甘みが強い。果樹試験場口之津支場が「清見タンゴール」「興津早生」の掛け合わせに、「ページオレンジ」を交配して育成した品種で、1993年に命名・公開。登録品種名は「タンゴール農林5号」。

天草〔焼酎〕

熊本県、合名会社天草酒造が製造する米焼酎。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「天草」の解説

あまくさ【天草】

熊本の米焼酎。白麹で仕込み、減圧蒸留で造る。原料は米、米麹。アルコール度数25%。蔵元は「天草酒造」。所在地は天草市新和町小宮地。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

動植物名よみかた辞典 普及版 「天草」の解説

天草 (テングサ)

植物。テングサ科テングサ属海藻の総称

出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報

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