上小山田村(読み)かみおやまだむら

日本歴史地名大系 「上小山田村」の解説

上小山田村
かみおやまだむら

[現在地名]東和町上小山田南川目みなみかわめ石鳩岡いしはとおか

下小山田村の東に位置し、北上高地の西辺、さるいし川中流北岸の丘陵山地に立地。村内を北上川支流添市そいち川・きぬ川が流れ、流域に平地が開けている。江戸時代、幕府には小山田村一村として届けられていたが、南部藩領内においては上・下二ヵ村に分れていた。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付では小山田村と並び、毛馬内三右衛門との頭注のある上小山田村がみえ、蔵入高七九石余、七ヵ年平均の免は一ツ八厘三毛。宝永二年(一七〇五)の安俵通惣高帳(菊池文書)に上小山田村とみえ、蔵入四一九石余・給所五六四石余、給人として井上作左衛門一五〇石・石亀権左衛門四九石・布施浅右衛門一〇〇石・宮田瀬兵衛八五石余・小向蔵次郎九五石余・浜田半左衛門五〇石余・鈴木久作三二石余がみえる。

上小山田村
かみおやまだむら

[現在地名]町田市上小山田町・常盤町ときわまち小山田桜台おやまださくらだい矢部町やべまち

下小山田村の西にある。中世は小山田庄内で、同庄の遺称地。下常盤山王社のもと神体といわれる懸仏(田中谷戸の神明神社所蔵)の銘に「永禄元年 (山)王大権現 上小山田常盤 彦根勘十郎 彦根庄次郎」とある。彦根氏両名は市内常盤町の彦根家の祖先とみられる。北条氏所領役帳に他国衆油井ゆい(大石氏領か)として記される「武州小山田之内四ケ村」の一村と推定される。この小山田四村には同じ油井領のうち相模国東郡の四ヵ所とともに役高の記載がなく、北条氏の把握が不十分で軍役を割当てられない所領であった。

上小山田村
かみおやまだむら

[現在地名]須賀川市上小山田

下小山田村の東、ひがし山西麓丘陵に立地。須賀川宿から四辻よつつじ新田村(現玉川村)へ抜ける山道があり、道沿いに集落が点在南東古寺こでら山の山頂に白山はくさん寺がある。初め下小山田村と一村であったが、寛永年間(一六二四―四四)に分村したと伝え、江戸時代の領主の変遷は塩田しおだ村と同じ。白河古領村郷高帳に村名がみえ、高八七九石余。助郷は須賀川宿と笠石かさいし宿(現鏡石町)に出役(寛政一二年「塩田村外困窮につき村加助の願」福島県史)。明治三年(一八七〇)の家数五六(須賀川市史)。天台宗白山寺は寺伝によれば、養老七年(七二三)行基が刻んだ観音菩薩像を桜樹の空洞に祀ったところ突然同像が光を放った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報