精選版 日本国語大辞典 「白山」の意味・読み・例文・類語
はく‐さん【白山】
しら‐やま【白山】
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最高峰である
白山は最終氷期(ウルム氷期)の氷河活動による浸食作用を明確に確認できるわが国の南西限にあたる。このため当山より西ではみられなくなる、あるいはきわめて少なくなるという動・植物も多種あり、生物分布上からも重要な山である。山麓にはブナ林、中腹の亜高山帯にはダケカンバ、オオシラビソの林が広がり、山頂部の緩斜面ではハイマツやハクサンコザクラ、ハクサンボウフウ、ハクサンフウロなどの高山植物がみられる。また亜高山帯のダケカンバ林を中心に、ツキノワグマ、ニホンカモシカ(特別天然記念物)、ニホンザルなどの哺乳類やイヌワシなどの野鳥が多く生息する。昭和三七年(一九六二)石川・福井・岐阜・富山の四県にまたがる山域は白山国立公園に指定された。
白山(大山)火山帯東縁に位置し、大野郡
白山火山の基盤は北半が濃飛流紋岩類で、南半は中生代ジュラ紀から白亜紀にかけての手取層群が主体。基盤岩は標高二〇〇〇メートルより上までみられ、溶岩はあまり厚くない。別山は火山でなく手取層群の山で、地層の縞模様により
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
石川県南部の市。2005年2月松任(まつとう)市と鶴来(つるぎ)町,美川(みかわ)町および尾口(おぐち),河内(かわち),白峰(しらみね),鳥越(とりごえ),吉野谷(よしのだに)の5村が合体して成立した。人口11万0459(2010)。
白山市南部の旧村,旧石川郡所属。人口731(2000)。手取川上流の白山北麓に位置する岐阜県境の山村で,西部を手取川が北流し,北境を支流の尾添川が流れる。耕地に乏しく,ワサビ,ナメコ,山菜などを特産し,イワナ,ニジマスなどの淡水魚の養殖も盛ん。南東部は白山国立公園に含まれ,夏は白山登山口としてにぎわう。岩間温泉,白山一里野温泉があり,冬はスキー客が多い。岩間の噴泉塔群は特別天然記念物,東二口文弥人形は重要無形民俗文化財に指定されている。大規模なロックフィルダムの手取川ダムがある。
白山市中部の旧村,旧石川郡所属。人口1205(2000)。北西境を手取川,ほぼ中央を手取川支流の直海谷(のうみだに)川が流れる。河川沿いにわずかに低地があるほかは大部分が両白山地に属する山地である。古くから白山との関係が深く,平安末期には白山宮領河内荘に属し,南北朝期以降は地頭の結城氏が館を構えて支配した。江戸時代は加賀藩領で,河内組に属した。人口は県下最小であった。農林業を主産業とし,ワサビ,エノキダケ,山菜の出荷が行われる。直海谷川に手取川総合開発計画による手取川第2発電所(1979)と第3ダム(1978)が建設された。
白山市南端の旧村,旧石川郡所属。人口1186(2000)。岐阜・福井両県に接する両白山地の山村で,白山を源とする手取川の大小20余の支流が合流して本流の手取川ダム湖に注ぐ。中心集落の白峰は江戸時代は天領で,当時の民家様式を伝える小倉家住宅(重要文化財)が残る。かつては山腹に出作小屋を作って雑穀を栽培する焼畑農業が営まれたが,現在は消滅した。旧尾田家の出作小屋と生活用具は重要有形民俗文化財に指定されている。ワサビ,ナメコ,山菜などの産地である。古くから養蚕も行われ牛首紬の特産がある。南東部は白山国立公園に含まれ,白山登山の基地である白山温泉(弱食塩泉,48℃)や白峰高原スキー場がある。
白山市北部の旧町,旧石川郡所属。人口2万1477(2000)。手取川東岸に位置し,北西部には手取川扇状地が開け,東部は両白山地の山麓が占める。中心集落の鶴来は扇頂部に発達した谷口集落で,白山の本宮四社の一つ金剣宮(きんけんぐう)の門前町として発展,中世から市が立ち,酒造とタバコ生産が盛んであった。三宮は白山比咩(しらやまひめ)神社の門前町として栄えた。繊維,機械,製材,醸造業が主産業で,酒米,種もみの産地でもある。金沢市との境にある獅子吼(ししく)高原は眺望がよく,キャンプ場,スキー場がある。北陸鉄道が通じ,金沢市への通勤者も多い。
白山市西部の旧村,旧石川郡所属。人口3154(2000)。手取川中流西岸の山村で,中央を支流の大日川が北流する。河川沿いには比較的広い低地が開け,古くからの米作地帯であるが,近年は兼業化が進んでいる。城山には加賀一向一揆最後の砦となった鳥越城跡(史)がある。東部の手取川峡谷は獅子吼手取県立自然公園に含まれ,手取温泉やスキー場がある。大日川上流には大日川ダム(1967年竣工)がある。
執筆者:上田 雅子
白山市北端の旧市。1970年市制。人口6万5370(2000)。金沢平野を流れる手取川扇状地の扇央部に位置し,西は日本海に臨む。平安時代初期に成立した東大寺領横江荘のあった地で,市内横江町にはその荘家跡(史)が確認されている。のち,一帯には在地領主林氏が勢力を扶植したが,その庶流で松任城に拠った松任氏は室町幕府奉公衆として名を連ねている。1488年(長享2)加賀一向一揆は守護富樫氏を滅ぼしたが,一揆の組織のうちに松任組があり,当時の松任城主鏑木氏は本誓寺ともかかわりが深く,一揆の旗本の一人であった。織田信長の加賀平定ののち,松任城には前田利長らが居城した。江戸時代は加賀藩領で,松任は藩内諸街道の集まる要地であり,ナタネ油の製造や松任紬(つむぎ),松任小倉とよばれた織物,染色業が盛んであった。早場米地帯であるが,機械,繊維,食料品,窯業などを中心とし,横江町に鉄工団地が造成されるなど,金沢市に近いため工場や住宅団地の造成も盛ん。市域中央部をJR北陸本線,国道8号線が並走し,海岸沿いに北陸自動車道が通じ,美川インターチェンジが近い。なお俳人千代女の出身地で,中町の聖興(しようこう)寺には千代尼塚や千代尼遺芳館がある。
執筆者:斎藤 晃吉
白山市北西端の旧町,旧石川郡所属。人口1万2454(2000)。金沢平野を貫流する手取川の河口部に位置し,日本海岸の砂丘には松の防砂林が続く。古くは本吉といい,江戸時代には北前船の寄港する日本海の要港であり,とくに文化・文政期(1804-30)には廻船問屋が軒を並べ,加賀藩最大の港町として隆盛をきわめた。1898年北陸本線が通じて港の機能は失われたが,代わって豊富な地下水を利用する染色業が興った。江戸時代以来の仏壇,刺繡は特産物として有名である。海岸沿いを北陸自動車道が通じ,美川インターチェンジの開設とともに染色,繊維,機械関連の企業が進出,工業団地も形成されている。町域東部は早場米の水田地帯である。小舞子海水浴場がある。
白山市中部南寄りの旧村,旧石川郡所属。人口1400(2000)。西境を手取川が流れ,これに沿ってわずかな低地が開けるほかは,白山山系の急峻な山地が村域の大部分を占める。東は富山・岐阜両県に接する。古代から中世にかけて味知(智)(みち)郷と称され,白山登拝路の拠点であった。可耕地に乏しく,近世以来山稼ぎへの依存度が強かったが,近年ではシイタケやナメコなどの増産も図られている。大正期に入って手取川の豊富な水資源を利用した発電所建設が進められ,1997年現在,村内に五つの発電所がある。1971年には過疎対策の一環としてニット工場を誘致し,77年には白山スーパー林道(旧尾口村~岐阜県白川村)が開通するなど,隔絶山村から変貌している。東部は白山国立公園に含まれ,中宮温泉,蛇谷(じやだに)の野猿公園,白山自然保護センターがある。西部の手取渓谷は獅子吼手取県立自然公園の一部で,下吉野には御仏供(おぼけ)杉(天)がある。
執筆者:上田 雅子
石川,岐阜,福井の3県にまたがる両白山地にあり,第四紀後半に活動した火山。山名は,最高峰の御前峰(ごぜんみね)(2702m)のほか大汝(おおなんじ)峰(2684m),剣ヶ峰(2677m)の3峰に分かれる主頂部と,南方の別山(べつさん)(2399m)および三ノ峰(2128m),西方の白山釈迦岳(2053m)などを合わせた総称である。山頂近くでは冬季に積雪10mに達し,残雪が多いため白山の称が生まれた。
山体は,手取層群と濃飛流紋岩を主とする基盤上に噴出した安山岩質の溶岩流と火砕流堆積物からなるが,標高のわりに火山体は非常に薄く,厚さが最大400m,体積も16km3にすぎない。噴出時期や位置,地形の違いから,古白山と新白山に分けられる。古白山はかつて標高3000~3500mの美しい円錐形の山体をもっていたと思われるが,中ノ川の浸食や爆発活動で破壊され,現在では北西部の清浄ヶ原や東部のうぐいす平に残る火山地形にその面影をとどめるのみである。新白山は古白山の南斜面に生じ,新鮮な溶岩流地形や千蛇(せんじや)ヶ池,翠(みどり)ヶ池など15の火口群を残している。御前峰や剣ヶ峰は,古白山と新白山の間の凹地を火口とする火山の火口壁の一部である。白山は706年(慶雲3)から1659年(万治2)までの間に9回の噴火が記録されているが,ここ300年間は火山活動が休止している。1554年(天文23)の噴火時には熱雲が発生し,手取川下流部にまで被害を与えた。冬季は気温が-20℃以下になり,夏季でも24℃を超えない寒冷な気候のため,山頂付近の緩斜面上には階状土や岩塊流などの周氷河地形が形成されており,多くは現在も動いている。山腹西側の急斜面では地すべりや崩壊が激しく,しばしば土石流が発生するため治山工事が盛んに行われている。現在,山頂火口周辺の温泉噴気活動はまったくないが,山麓には中宮,岩間,白山,鳩ヶ湯など多くの温泉がある。
白山は生物分布上からも重要な山で,山麓はブナ林,中腹の亜高山帯にはダケカンバ,オオシラビソの林が広がり,山頂部の緩斜面ではハイマツやハクサンコザクラ,ハクサンボウフウなどの高山植物が見られる。また亜高山帯のダケカンバ林を中心に,ツキノワグマ,ニホンカモシカ,ニホンザルなどの哺乳類やイヌワシなどの野鳥が多く生息する。
執筆者:守屋 以智雄
白山信仰は〈しらやましんこう〉ともいう。最初〈しらやま〉とは雪をいただいて白くなった山を指す普通名詞であったのが,のちに北陸の白山のみを呼ぶ固有名詞になったのであろう。白山を水源地とする加賀の手取川,越前の九頭竜川,美濃の長良川の三つの大河の流域に,白き神々の座を農耕神と仰ぐ信仰が生まれた。おそくとも9世紀ごろまでに,それぞれの大河流域の白山信仰の中心として加賀馬場(ばんば),越前馬場,美濃馬場が形成された(《白山之記》)。この三馬場は,いずれも白山本道(ほんどう)(禅定道(ぜんじようどう)ともいう)と称した白山を登拝する別々の道の起点である。加賀馬場の中心は白山本宮で,神仏習合により平安中期以後は白山寺が実権を握る。越前馬場は白山中宮で平泉寺が中心であり,美濃馬場は白山本地中宮といい,中心は長滝(ちようりゆう)寺である。718年(養老2)泰澄(たいちよう)がはじめて登拝して,御前峰の神は白山妙理大菩薩と号し,本地が十一面観音,大汝峰の神は大己貴(おおなむち)で本地は阿弥陀如来,別山は小白山別山大行事で聖観音が本地ということを明らかにしたとする伝承がある。この本地垂迹説による伝承が白山信仰の核心にすえられた平安中期以後,三馬場はすべて泰澄によって開かれたという開基縁起に一元化された。白山の神は,三馬場とも白山三所権現を基本とする体系になるのである。この泰澄の権威による白山嶺上の管理権獲得に代表される三馬場間の激しい本家争いが,以後明治初年まで繰り返された。三馬場とも修験の霊場で山伏の往来は盛んであったが,御師(おし)の活動は美濃馬場以外は著しくない。明治の神仏分離で三峰に安置の仏像はすべて下ろされ,白山寺は白山比咩(しらやまひめ)神社,平泉寺は白山神社(旧県社。福井県勝山市),長滝寺も白山神社(旧県社。岐阜県郡上市の旧白鳥町)になって現在に至っている。
→白山比咩神社
執筆者:下出 積與
→津[市]
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古くは「しらやま」とも。石川県白山市と福井県大野市・勝山市,岐阜県大野郡・郡上(ぐじょう)市にまたがる火山帯。最高峰の御前(ごぜん)峰(標高2702m)・大汝(おおなんじ)峰(2684m)・剣ケ峰(2677m)の3峰(白山三峰)と,南方の別山(べっさん)(2399m)・三ノ峰(2128m)などからなり,白山はその総称。石川県の手取川,福井県の九頭竜(くずりゅう)川,岐阜県の長良川の水源で,富士山・立山とともに日本三霊山の一つとして信仰されてきた。
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…院政期,上皇はじめ公家貴族の参詣で脚光をあびた熊野は早玉宮・結宮を合して両所権現,家津御子を入れて熊野三所権現と称し,眷属神である五所王子・四所宮を合して十二所権現とも呼んだ。加賀白山では奈良朝初め泰澄により霊場が開かれ,その主神を白山妙理権現と称し,伊豆箱根では同じころ僧満願が僧形・俗形・女形の神体を感得して三所権現と称し社にまつり走湯権現ともいわれ,日光山では勝道が平安朝に滝尾権現を感得し,日吉山王でも大宮・二宮・八王子・客人・十禅師・三宮・大行事等多数の祭神に一々権現号を付し,醍醐寺の鎮守清滝明神は密教の善女竜王にほかならないが,権現の名称で親しまれていた。 以上に見るように,総体に修験者が信仰する山岳中心の霊場には権現号が多く,そこにはひときわ祭神の強力な霊験機能を誇示しようとする意識が働き,律令制の下で《延喜式》に規定された名神から来たと思われる明神の号への対抗が考えられるが,いずれの号をも称する祭神は多かった。…
…越(こし)の大徳,神融禅師,泰澄和尚とも号する。飛鉢の術を使う能登島出身の臥(ふせり)行者と出羽の船頭であった浄定(きよさだ)行者を弟子とし,霊夢の導きで717年(養老1)に白山に登拝して初めて白山三峰の神を明らかにしたとされる,越前の越知山(おちさん)(現,福井県朝日町)の修行者である。伝説上の人物であるが,本地垂迹説にもとづく事績を詳記する《泰澄和尚伝記》がすでに10世紀に成立しているので,かつては奈良時代に実在していた人物で伝記どおりの経歴を事実とする考えが強かった。…
※「白山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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