遠野街道(読み)とおのかいどう

日本歴史地名大系 「遠野街道」の解説

遠野街道
とおのかいどう

盛岡城下遠野城下を結んだ道で、現在の国道三九六号に近い道筋を通る。盛岡城下から北上川沿いに南下して乙部おとべ(現紫波郡都南村)を通り、南東に向かって佐比内さひない(現同郡紫波町)大迫おおはさま(現稗貫郡大迫町)達曾部たつそべ(現上閉伊郡宮守村)上宮守かみみやもり(現同上)上綾織かみあやおり村を通ってさるいし川を渡り、同川南岸を東進して遠野城下横田よこた五町のうち下組しもくみ町に入る。途中花巻に向かう道を分岐し、遠野城下で大槌おおつち街道・釜石街道などと接続するなど、閉伊へい郡海岸部と内陸とを結ぶ重要な道であった。「阿曾沼興廃記」によると、建武年間(一三三四―三八)すでに花巻―横田、横田と大槌(現上閉伊郡大槌町)・釜石などを結ぶ道があったといい、永享九年(一四三七)陸奥三戸の南部守行が気仙勢の攻撃を受けた遠野の阿曾沼氏を救うべく、七〇〇余騎を率いて遠野入りした道とも伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報