リバプール
Liverpool
イギリス,イングランド中北部西寄り,歴史的なランカシャー地方の一部をなすマージーサイド大都市カウンティ metropolitan county(あるいは都市州)の中心都市。ロンドンの北西約 300km,アイリッシュ海から数km湾奥のマージー川河口北岸に位置する。1207年イングランド王ジョンより勅許状が与えられ,沿岸部やアイルランドと交易を行なうようになったが,中世までは小さな港町にすぎなかった。18世紀に入り,アメリカ大陸や西インド諸島との貿易が盛んになり,ロンドンに次ぐイギリス第二の港となった。貿易のおもな形態は三角貿易で,後背地のマンチェスターやマージー川流域で生産される綿織物などの製品とアフリカ大陸の奴隷が交換され,さらに奴隷たちは西インド諸島産の砂糖,糖蜜,香辛料などのプランテーション作物と交換された(→奴隷貿易)。港湾の最初のドックは 1715年に完成し,18世紀末までにさらに四つのドックが建造され,総面積でロンドンを上回った。1830年リバプール・アンド・マンチェスター鉄道が開通し,マージー川対岸のウィラルとは蒸気船で結ばれるようになった。経済発展に伴って多くの移民が流入し,特に 1845~49年のアイルランドでのジャガイモ飢饉ではアイルランド人が急増した。20世紀初頭には,北はホーンビー・ドック(1884)から南はヘルクラネウム・ドック(1866)までマージー川沿い約 11kmにわたってドックが点在するようになった。第2次世界大戦後,後背地の在来産業や貿易が衰退し,港湾への設備投資の減少が失業者の増大を招いたが,市民の経済生活を支える都市機能およびその役割は維持した。その後,港湾は一般貨物のほかコンテナ貨物も取り扱うようになり発展,2012年にはクルーズ客船のターミナルとなった。2004年大英帝国の発展を支えた歴史ある海洋商都として,ドック群と歴史的市街地が世界遺産の文化遺産に登録されたが,港湾の再開発により景観などが不可逆的な損失を被ったとして2021年に登録を抹消された。1960年代に世界的なロックグループ,ビートルズを生み出した街としてゆかりの地を訪れる観光開発が注目されている。歴史的建造物として,18世紀の市庁舎,チャールズ・ロバート・コカレル設計の 1854年開館のセント・ジョージズ・ホール,ネオ・ゴシック様式のリバプール大聖堂(1904~78),フレデリック・ギバード設計のモダンなデザインが印象的なカトリックのメトロポリタン大聖堂(1962~67)がある。文化・教育施設としては,テート・リバプール(テート・ギャラリーの分館)のほか,海事博物館や国際奴隷博物館,ウォーカー・アートギャラリーなど七つの施設を包含するリバプール国立博物館,リバプール大学(1881創立)などがある。ロイヤル・リバプール・フィルハーモニー管弦楽団,世界的に有名なプロサッカーチームのエバートンとリバプールFCの本拠地でもある。マージー川対岸のバーケンヘッドとはフェリーのほか,1886年完成の地下鉄道トンネル,1934年運用開始の地下自動車トンネルで結ばれている。面積 112km2,人口 46万6415(2011)。
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リバプール
英国,イングランド北西部,マージーサイド特別州西部の港湾都市。ロンドンに次ぐ英国第2の貿易港。綿花,穀物,木材,タバコ,石油などを輸入,綿・羊毛製品,機械,鉄鋼などを輸出する。造船,タバコ,製糖などの工業もある。大学(1903年創立)があり,河底トンネル(鉄道・道路)でマージー川対岸のバーケンヘッド,ウォラシーと結ばれる。12世紀末の記録に名がみえるが,18世紀に入って西インド諸島などとの奴隷貿易で急速に発展,産業革命期に港湾施設が整備され,今でも当時の姿をとどめる地域や施設群が2004年,世界文化遺産に登録された。ビートルズ誕生の地としても知られる。46万6415人(2011)。
→関連項目アイリッシュ海|ハリソン
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デジタル大辞泉
「リバプール」の意味・読み・例文・類語
リバプール(Liverpool)
英国イングランド北西部、ランカシャー地方の港湾都市。アイリッシュ海に注ぐマージー川北岸にあり、13世紀以来貿易港として発展。繊維・機械などを輸出。造船・製粉工業が盛ん。ビートルズ結成の地としても知られる。
[補説]2004年、ピアヘッドやアルバートドックなどを含む地域が「リバプール海商都市」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録。しかし再開発計画により2012年に危機遺産に登録、2021年には世界遺産の登録が抹消された。
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リバプール
(Liverpool) イギリス、イングランド北西部マージー川河口にある港湾都市。イギリス最大の
工業地帯を控える大貿易港。一七世紀にアメリカ大陸との貿易、特に奴隷貿易で栄え、一八世紀後半産業革命によりさらに発展した。ビートルズの生地としても名高い。
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リバプール【Liverpool】
イギリス,イングランド北西部,マージーサイド州(旧,ランカシャー)にある港湾・工業都市で州都。人口47万1000(1995)。地名の語源は〈濁った水たまり〉の意。マージー川エスチュアリー(三角江)の湾口右岸に位置し,ロンドンに次ぐイギリス第2の貿易港であり,またキュナード汽船会社の所在地としても知られる。伝統的にアメリカ大陸やインド,アフリカとの交易が中心で,綿花・綿製品の取扱量は低下したものの,肉類・穀物・木材などの輸入,機械類・繊維製品などの輸出が盛んである。
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世界大百科事典内のリバプールの言及
【イングランド】より
…北東イングランド工業地域では,重工業の中心が従来のニューカスルからミドルズブラやサンダーランドへと移行しつつある。またランカシャー工業地域でも,発展途上国との競合で綿工業が打撃を受けたため,紡績・織物工場の機械工場への転換が促進され,さらには工業中心そのものがマンチェスター周辺から,石油化学・自動車工業などが立地する臨海のリバプールへと変化している。一方,ペナイン山脈東麓側のヨークシャー工業地域では,綿工業ほどの衰退はみられないが,羊毛工業の集中・専門化は進み,ブラッドフォードなどの西ヨークシャー諸都市で高級品の生産が行われている。…
【植民地】より
…同様に重要な役割を担ったのは,〈三角貿易〉に代表されるように,プランテーションの繁栄にともなって興隆をきわめた奴隷貿易である。こうしてアフリカ人奴隷を犠牲にすることによって得られた富がリバプールに繁栄をもたらし,ひいてはイギリス産業資本主義の基礎を築きあげた。しかしこの飛躍的発展のいわばトランポリンとして利用されたアフリカでは,一説によれば6000万人ともいわれるほどの人口が減少し,それによってこの大陸は低開発の過程を突き進むことになった。…
【トーリー党】より
…以後,アメリカの独立,フランス革命などの影響で急進主義が高揚すると,支配層はいっそう保守化し,ピットなどの指導下にトーリー内閣がつづいた。 1820年代から産業革命による工業の発展と自由主義思想の広がりの影響をうけ,トーリー党内部にも自由主義派が生まれ,リバプール内閣(1812‐27)のもとで自由主義政策をとるにいたり,ホイッグ党との差はあいまいになった。30年グレー内閣の成立によりホイッグ党へ政権を譲り渡すが,このころからトーリー党という名称に代わって保守党という名称が用いられるようになる。…
【奴隷貿易】より
…したがって,16世紀の奴隷貿易はポルトガル人によって展開されたが,17世紀になるとオランダ西インド会社が進出し,17世紀後半からジャマイカやフランス領グアドループ,マルティニク両島が砂糖生産の中心になるにつれて,イギリス,フランス両国商人が奴隷貿易にのり出した。イギリスは,当初,1672年に設立された王立アフリカ会社Royal African Companyなど,特権会社による独占事業として奴隷貿易を展開しようとしたが失敗し,17世紀にはロンドンとブリストル,18世紀にはリバプールの個人商人が奴隷貿易を握り,年間平均10%以上の高い利潤をあげたといわれる。ただし,利潤率については,数十%から100%以上という推計もある。…
※「リバプール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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