ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「テーラー」の意味・わかりやすい解説
テーラー
Taylor, Charles Ghankay
リベリアの政治家,反政府活動指導者。大統領(在任 1997~2003)。1990年代にリベリアに内戦を起こし壊滅的被害をもたらした張本人とみられている。父親は判事で,アメリカ合衆国の解放奴隷の子孫であるエリート階級。アメリカの大学に留学し,1977年経済学で学士号を取得。その後ドウ政権下で官僚を務めたが,1983年,約 100万ドルの公金横領罪でドウ政権に告発され,翌 1984年アメリカに逃亡した。アメリカで逮捕,投獄されたが送還前に逃亡,リビアに渡って反政府武装組織リベリア国民愛国戦線 NPFLを結成した。NPFLは 1989年末リベリアに侵攻,1990年首都モンロビアに到達したが,権力を奪うことはできず,武装勢力同士の残忍な内戦へと発展した。1996年に停戦協定が結ばれ,翌 1997年7月に大統領選挙が行なわれると,テーラーは,不正を非難されたものの 75%の得票率で勝利した。大統領に就任後,軍の構成員を NPFLのメンバーと入れ替えて再編成をはかり,反大統領派との戦闘がその後も続いた。国際的には,シエラレオネの反政府勢力を支援していると非難され,テーラーは国際連合が設置した国際戦争犯罪法廷で起訴された。2003年大統領を辞任しナイジェリアに亡命したが,2006年リベリアに身柄を引き渡され,人道に対する罪と戦争犯罪で起訴,シエラレオネ特別法廷で裁判に付されるためオランダのハーグに移送された。2012年4月26日シエラレオネ特別法廷で有罪判決がくだされ,5月30日に禁錮 50年の刑が言い渡された。
テーラー
Taylor, Joseph H.Jr.
アメリカの天体物理学者。 1968年ハーバード大学で天文学の博士号を取得。マサチューセッツ大学教授を経て 80年プリンストン大学に移り,86年ジェームズ・S・マクダネル記念教授に就任。マサチューセッツ大学時代,彼のもとで学ぶ大学院生の R.S.ハルスとともにパルサーの研究を開始,1974年プエルトリコにある大型電波望遠鏡を使った観測中に中性子星を伴う連星パルサー PSR1913+16を発見した。このパルサーがパルス間の間隔が8時間周期で増減するという規則正しいパターンで変化することから,もう一方の星とつくる重心の周囲を公転しているために地球から遠ざかったり地球に近づいたりしているに違いなく,このもう一方の星もパルサーと同程度の質量をもつ中性子星だと結論づけた。この発見はアインシュタインの一般相対性理論が述べる重力理論を検証できる「宇宙実験室」を提供したものと評価された。さらに観測の結果,PSR1913+16の周期が縮まり,2つの中性子星間の距離がせばまってきていることをつきとめ,これが重力波の放出によるものであることを見出し一般相対性理論を裏づけた。 93年ハルスとともにノーベル物理学賞を受賞。
テーラー
Taylor, Frederick Winslow
[没]1915.3.21. フィラデルフィア
アメリカの機械技師。テーラー・システムの創始者。 1874年フィラデルフィアの小機械工場の徒弟となり,78年ミッドベール・スチールに入り,累進して技師長になる。 89年同社を退社し,翌年マニュファクチュアリング・インベストメントの総支配人となり,自己の経営管理理論を実践した。 93年同社退社後は多数の企業の経営コンサルタントとして活躍した。工場の組織的怠業に対する対策として,95年アメリカ機械技師協会のデトロイト大会で,『一つの出来高給制度』A Price-Rate Systemを発表,1901年以降はもっぱらテーラー・システムの普及に努めた。 03年『工場管理論』 Shop Managementを発表,06年アメリカ機械技術協会の会長となった。また発明家としても著名で,40以上の特許をもっていた。主著『金属切削法』 On the Art of Cutting Metals (1906) ,『科学的管理法』 The Principles of Scientific Management (11) のほか論文多数。
テーラー
Taylor, Richard E.
[没]2018.2.22. アメリカ合衆国,カリフォルニア,スタンフォード
カナダの物理学者。フルネーム Richard Edward Taylor。1950年アルバータ大学を卒業,1962年アメリカ合衆国のスタンフォード大学で博士号を取得。カリフォルニア大学ローレンス・バークリー研究所に約 1年勤務したのち,1962~68年スタンフォード線形加速器研究所(→SLAC国立加速器研究所)研究員。1968年スタンフォード大学助教授,1970年同大学教授。スタンフォード線形加速器研究所において,ジェローム・アイザック・フリードマン,ヘンリー・ウェイ・ケンドールとともに原子核による散乱実験に取り組み,1975年に陽子や中性子の内部には硬い点状の芯があるのを観察,これがカリフォルニア工科大学のチームによって 1964年に提唱されていた基本粒子クォークであると結論づけた。それまで理論的な存在でしかなかったクォークを実験的に明らかにした業績により,1990年フリードマン,ケンドールとともにノーベル物理学賞を受賞。
テーラー
Taylor, (James) Bayard
[没]1878.12.19. ベルリン
アメリカの旅行記作家,詩人,小説家。 1844年処女詩集『ジミーナ』 Ximenaを発表。2年間のヨーロッパ旅行に出て旅行記『歩いて見たヨーロッパ』 Views Afoot (1846) を出版,一躍有名になった。このほかニューヨークの『トリビューン』紙の通信員としてゴールド・ラッシュのカリフォルニアを取材した見聞記『エルドラド』 Eldorado (50) ,ペリー提督の遠征に加わって日本などを訪れたときの旅行記『1853年のインド,中国,日本訪問』A Visit to India,China,and Japan,in the Year 1853 (55) などを発表した。その後『ハナ・サーストン』 Hannah Thurston (63) 以下数編の小説を出し,またコーネル大学でドイツ文学を講じ (69~77) ,ゲーテの『ファウスト』を翻訳 (2巻,70,71) 。 78年ドイツ駐在公使に任命されたがまもなく死亡した。
テーラー
Taylor, Cecil
[没]2018.4.5. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国のジャズ・ピアニスト,作曲家。フルネーム Cecil Percival Taylor。ジャズの即興演奏を固定的ハーモニー構成から解放したさきがけの一人。ニューヨークやボストンで音楽の専門教育を受けたが,決定的な影響を受けたのはデューク・エリントンらジャズ・ピアニストからだった。1950年代半ば,小グループを率いて演奏活動を開始。『ジャズ・アドバンス』Jazz Advance(1956)の発表当初から,「音楽界の妥協なき先鋭派」と呼ばれ,批評家から高く評価された。しかし,その複雑で難解な音楽が一般聴衆に受け入れられるには時間がかかった。1973年からソロ,あるいはみずからの小バンドで活躍する。クラシック音楽とジャズの双方から影響を受け,ダイナミックで力強く,ハーモニー豊かな独特の奏法を生み出し,ジャズ・ピアノの名手とうたわれた。
テーラー
Taylor, Zachary
[没]1850.7.9. ワシントンD.C.
アメリカの政治家。第 12代大統領 (在任 1849~50) 。 1808年陸軍に歩兵中尉として入隊。アメリカ=イギリス戦争中,北西部地方のインディアンの討伐に従った。 45年テキサスが併合されたとき,その南境に沿って布陣した駐屯軍の司令官となり,46年にアメリカ=メキシコ戦争のきっかけをつくり,パロアルトの戦い,レサカデラパルマの戦いでメキシコ軍を破ったのちカリフォルニアに向いモンテレーを占領した。 47年にもブエナビスタの戦いでメキシコ軍を破り,輝かしい勝利を収めた。しかし民主党の大統領 J.ポークや陸軍長官ら戦争指導部と意見の食違いが生じた。彼は戦勝で得た名声を背景にホイッグ党から大統領候補に指名されて当選,49年大統領に就任。カリフォルニアのゴールド・ラッシュに伴い,カリフォルニアの連邦加入問題に直面したが,就任後1年4ヵ月で急死。
テーラー
Taylor, Paul
[没]2018.8.29. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の舞踊家,振付師。フルネーム Paul Belville Taylor。身長約 190cmの体格をいかして,水泳と美術の奨学金を得てシラキュース大学に学んだ。在学中の 1951年舞踊を始め,ドリス・ハンフリー,マーサ・グラハムらに師事。1954年自身の舞踊団を組織して『三つの墓碑銘』をつくり,一躍脚光を浴びた。以来,アメリカのモダン・ダンスを代表する振付師として,『塔』(1957),『タブレット』(1960),『オリオール』(1962),『スクドラマ』(1963),『エスプラナード』(1975)などを次々と発表。人間関係,社会の表と裏,偽善を扱ったコミカルな作風で創作を続け,世界各地を巡演した。同時にマーサ・グラハム舞踊団のソリストとして主要な作品のすべてを踊った。
テーラー
Taylor, Charles
カナダの政治哲学者。フルネーム Charles Margrave Taylor。1952年マギル大学で歴史学の学士号を取得後,ローズ奨学生としてイギリスのオックスフォード大学で学び,1955年哲学の学士号を取得,1961年哲学博士となった。同 1961年カナダに帰国,オックスフォード大学チチェリ社会政治理論講座の教授を務めながら,1997年までマギル大学教授。英語圏におけるゲオルク・W.F.ヘーゲル研究の復活を指導するとともに,解釈学や現象学といった 20世紀大陸哲学を取り入れた独自の政治哲学を展開している。2007年「スピリチュアルな実在に関する研究と発見の進展のためのテンプルトン賞」をカナダ人として初めて受賞。主著『ヘーゲル』Hegel (1975) ,『ヘーゲルと近代社会』Hegel and Modern Society (1979) 。
テーラー
Taylor, Dame Elizabeth
[没]2011.3.23. アメリカ合衆国,カリフォルニア,ロサンゼルス
アメリカ合衆国の映画女優。フルネーム Elizabeth Rosemond Taylor。1942年,メトロ=ゴールドウィン=メイヤー MGMにスカウトされて映画界入りし,『家路』で 10歳にしてデビュー。少女スターとして活躍,「リズ」の愛称で親しまれる。『陽のあたる場所』(1951),『ラプソディー』(1953)など数々の作品にも恵まれ,成長とともにハリウッドのトップスターの座についた。『バターフィールド8』(1960),『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966)で 2度アカデミー主演女優賞受賞。晩年,エイズ研究財団の代表を務めるなど社会問題にも積極的に取り組んだ。2000年にデイムに叙された。
テーラー
Taylor, Brook
[没]1731.12.29. ロンドン
イギリスの数学者。ケンブリッジ大学で数学を専攻。 1708年振動の中心に関する問題の画期的解法を得たが,14年まで公表されなかった。 15年主著『増分法』のなかで,関数の級数展開についての「テーラーの定理」が発表された。この本は差分法を数学の一つの領域として確立した点においても忘れることができない。応用面では振動する弦の形を決定するための方程式を導き,『透視図法』 (1715) のなかで独創的な画法の原理を述べている。 12年ロンドン・ロイヤル・ソサエティ会員。同年,ニュートンとライプニッツの微積分発見の優先権紛争を裁定する委員会の委員になる。 15年以後彼の研究は哲学的,宗教的なものに向った。
テーラー
Taylor, Maxwell Davenport
[没]1987.4.19. アメリカ,ワシントンD.C.
アメリカの陸軍軍人。 1922年ウェストポイント陸軍士官学校卒業。第2次世界大戦勃発直後,アメリカで初めて空挺師団 (空挺部隊 ) をつくった。ノルマンディー上陸,オランダ進攻作戦で第 101空挺師団長。 53年第8軍司令官として朝鮮で国連軍を指揮,55~59年陸軍参謀長,59年退役。『定かならぬラッパの響き』 The Uncertain Trumpet (1959) を著わして大量報復戦略を批判,柔軟反応戦略を提唱した。 62~64年統合参謀本部議長となり,ベトナム情勢が悪化した 64~65年ベトナム駐在大使,65~69年大統領特別顧問をつとめた。
テーラー
Taylor, Edward
[没]1729.6.24. マサチューセッツ,ウェストフィールド
アメリカの詩人,牧師。イギリスに生れ非国教徒としての信仰を貫くためニューイングランドに移住,ハーバード大学卒業後,牧師として当時辺境であったウェストフィールドに赴任,そこで生涯を終えた。四つ折判 400ページに及ぶ詩稿は長く日の目を見ず,1883年エール大学に寄贈され,1939年トマス・H・ジョンソン編の選集『エドワード・テーラー詩集』 The Poetical Works of Edward Taylorが出版されるや,植民地時代のアメリカにおける最大の詩人とみなされるにいたった。 17世紀イギリスの形而上詩人から影響を受けた宗教詩が多い。
テーラー
Taylor, Alfred Edward
[没]1945.12.31. エディンバラ
イギリスの哲学者。エディンバラ大学道徳哲学教授。オックスフォード大学で新ヘーゲル学派の F.ブラッドリーに師事。初めはその批判的観念論の立場に立ったが,やがてこの立場が発展の思想を世界観の基礎にしていることを批判し,新スコラ学の立場に移った。哲学史の分野ではプラトン哲学に傾倒,その研究に努めた。主著『行為の問題』 The Problem of Conduct (1901) ,『哲学者としての聖トマス・アクィナス』 St. Thomas Aquinas as a Philosopher (24) ,『一道徳家の信条』 The Faith of a Moralist (2巻,30) 。
テーラー
Taylor, David Watson
[没]1940.7.28. ワシントンD.C.
アメリカの造船技術者,航空機設計家。アナポリス海軍兵学校とイギリスの王立海軍大学を最優秀の成績で卒業したのち,船舶の構造の研究に従事。とりわけ独自の方法による船体の諸特性と水中抵抗の関係の研究は,その後の船舶工学の発展に寄与するものであった。アメリカ海軍の艦船,潜水艦,飛行艇建造の責任者として活躍 (1914~22) 。また航空諮問委員会の委員を 15年間つとめた。 1917年海軍少将。著書に『船の速さと推力』 Speed and Power of Ships (10) がある。
テーラー
Taylor, Jeremy
[没]1667.8.13. リズバーン
イギリスの聖職者,著述家。ケンブリッジ大学で学んだのち聖職につき,特色のある説教によって大主教ロードに認められた。チャールズ1世の宮廷付き牧師となり,清教徒革命の際には捕えられ,釈放後ウェールズで隠遁生活をおくり,ここで名作『聖生論』 The Rule and Exercises of Holy Living (1650) ,『聖死論』 The Rule and Exercises of Holy Dying (51) を執筆した。王政復古後アイルランドのドローモアの主教となった。
テーラー
Taylor, William
[没]1902.5.18.
アメリカのメソジスト派宣教師。 1843年にメソジスト監督教会に入会,47年に牧師となり,49年カリフォルニアに伝道のため送られたが,56~61年にアメリカとカナダ,62年にイギリス,63年にオーストラリア,64年に西インド諸島,70~75年にインド,その後も南アメリカ,南アフリカを数回訪れ伝道を続け,多くの伝道記録を残した。主著『サンフランシスコでの7年間の街頭伝道』 Seven Year's Street Preaching in San Francisco (1856) 。
テーラー
Taylor, James Hudson
[没]1905.6.3. 長沙
イギリス国教会宣教師。超教派の「中国内地伝道会」 China Inland Mission (のちの Overseas Missionary Fellowship) の創立者。 1854年中国に渡り,健康を害して数年帰国したのち再び渡中,終生キリスト教伝道に献身した。中国名,戴雅各 (徳生) 。主著『中国,その霊的必要と要求』 China; Its Spiritual Need and Claims (1865) 。
テーラー
Taylor, Sir Geoffrey Ingram
[没]1975.6.27. ケンブリッジ
イギリスの気象学者,物理学者。ケンブリッジ大学に学ぶ。ケンブリッジ大学および王立研究所教授。気象学,弾性学,塑性論(とりわけ結晶の転位論)の研究に加え,特に有名なのは流体力学の研究である。乱流の渦度伝達理論(→渦度)および等方性乱流理論の提唱などで知られる。1944年ナイトの称号を与えられ,1969年メリット勲章を受章した。
テーラー
Taylor, George
[没]1781.2.23.
アメリカ植民地時代の製鉄業者,政治家。アメリカ独立宣言署名者の一人。 1736年頃ペンシルバニアに移住し,54年頃バックス郡に溶鉱炉を建設。 74~76年ペンシルバニア植民地議会議員。アメリカ独立革命に際しては穏健な急進派として,大陸会議へのペンシルバニア代表 (1776~77) となった。
テーラー
Taylor, Joseph
[没]1652.11.4. ロンドン
イギリスの俳優。 1619年国王一座に加わり,R.バーベッジの跡を継いで,ボーモント=フレッチャーらの作品の二枚目を演じた。ハムレット,イアーゴー,J.ウェブスターの『モルフィ公爵夫人』のファーディナンドなどを好演。また H.コンデルと J.ヘミングの没後は,同座の経営にもたずさわった。
テーラー
Taylor, Robert
[没]1969.6.8. カリフォルニア,サンタモニカ
アメリカの映画俳優。本名 Arlington Brough。 1930~40年代の二枚目スター。 50年代以降はアクション映画に活躍。出演作品『哀愁』 (1940) など。
テーラー
Taylor, Elizabeth
[没]1975
イギリスの女流作家。人生の寂しさを好んで描く。『港の眺め』A View of the Harbour (1949) ,『クレアモントのパルフリー夫人』 Mrs. Palfrey at the Claremont (71) などがある。
テーラー
Taylor, John
[没]1653
イギリスの詩人。海軍を退いてからテムズ川の船頭となり,風変りな船旅行をして,旅行記や詩をパンフレットの形で発表,宮廷や上流社会の人気を得,「水の詩人」 Water-Poetとして親しまれた。
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