日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゴールド・ラッシュ」の意味・わかりやすい解説
ゴールド・ラッシュ
ごーるどらっしゅ
gold rush
金の発見地、採掘地に向かって大ぜいの人が急激に集中するありさまをいう。史上もっとも著名なゴールド・ラッシュは、1848年に始まるアメリカ、カリフォルニアのそれである。同年1月にサクラメントに近いアメリカ川でジェームズ・W・マーシャルという大工が砂金の粒をみつけたというニュースは、またたくまに全世界に広まった。まもなく、全米および中国、オーストラリアを含む世界の各地から、わずかな資本で一攫千金(いっかくせんきん)を夢みる金鉱探したちや、彼らに必要な物資・サービスを提供する商人、職人、ホテル業者、銀行家、弁護士、売春婦たちがカリフォルニアに押し寄せ始めた。この大ぜいの人たちは一般に「1849年の人々(フォーティ・ナイナーズ)」とよばれた。1848年初め2万に満たなかったカリフォルニアの人口は、49年に10万、52年に25万、60年には38万とうなぎ登りに増加、鉱山町が各所につくられた。1852年には最高の年間金産出量を記録し、その額は約8130万ドルと推定されている。また、1847年には100人そこそこの僻村(へきそん)にすぎなかったサンフランシスコは、カリフォルニアへの入口、物資補給基地、歓楽街として金探しブームの中心地となり、50年に人口3万5000の都会へと成長した。アメリカではこのあと、ネバダのコムストック鉱脈の発見(1859)、コロラド(1859)、モンタナ(1863)のラッシュと続き、1897年には北アメリカ最後のゴールド・ラッシュがアラスカのユーコン川の流域におこっている。
アメリカ以外のゴールド・ラッシュでは、オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズとビクトリア(1851)、同じくクールガーディ(1864)、そして1886年に南アフリカ、トランスバールのウィトワーテルスランドの巨大な金鉱脈の発見によるものが有名。
[平野 孝]
『中屋健一著『アメリカ西部開拓史』(1963・筑摩書房)』▽『猿谷要著『西部開拓史』(岩波新書)』