サウサンプトン(伯)(読み)サウサンプトン[はく](英語表記)Southampton, Henry Wriothesley, 3rd Earl of

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サウサンプトン(伯)」の意味・わかりやすい解説

サウサンプトン(伯)
サウサンプトン[はく]
Southampton, Henry Wriothesley, 3rd Earl of

[生]1573.10.6. サセックス,カウドレー
[没]1624.11.10. ベルゲンオプゾーム
イギリスの女王エリザベス1世時代の廷臣。 1590年宮廷に入る。2代エセックス (伯)の友人で,96年と 97年の同伯のカディス遠征,アゾレス遠征にも参加。 99年女官エリザベス・バーノンとひそかに結婚して女王の怒りを買い,同年エセックス伯のアイルランド遠征に従軍。 1601年同伯の反乱に加担して反逆罪に問われ,投獄されたが,03年ジェームズ1世の即位後釈放され,伯爵位を許された。以後バージニア会社,イギリス東インド会社などに関係し,19年枢密顧問官。ネーデルラント戦病死シェークスピアの友人兼パトロンで,『ビーナスアドニス』の詩を捧げられた。『ソネット集』のなかの謎の人物「貴公子」とも推定されている。

サウサンプトン(伯)
サウサンプトン[はく]
Southampton, Thomas Wriothesley, 1st Earl of

[生]1505.12.21. ロンドン
[没]1550.7.30. ロンドン
イギリスの政治家。熱心なカトリック教徒で,1544年大法官に就任。 47年国王エドワード6世の摂政会議の一員に任命されたが,独断で4人の大法官代行を定めたため非難され,解任。翌年枢密顧問官。サマセット公失脚をはかるノーサンバーランド公陰謀に加担したが,その後の処遇に失望して引退

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